2012-09-22[n年前へ]
■「読む人の力をいつでも信じています」
『「読む人の力を信じる」という秘訣 』から。
ずっと頭の中に残っている言葉のこれまた一つが、下の言葉です。言葉を書く上で、可能な限り他人(自分以外の人や未来の自分)に伝わるように的確に書く、というのは当たり前のことです。しかし、その当たり前のことをもちろん承知の上で、この秘訣をいつも頭の中に浮かべています。
わたしは、読む人の力をいつでも信じています。そうでなかったら一行も書けません。また、見抜く目を最高に持った人を想定読者にするのが、このメディアを続けていくための秘訣でもあります。
「からーふぃくしょん」
2013-03-12[n年前へ]
■「伝わる相手がいる」と信じているから「人は絵馬を描き・言葉を紡ぐ」のです。
もう十数年前、1999年の半ば頃、こんなことを書きました。今は2013年ですから、14年前の(年を経た私からすれば)若造が書く与太話です。
いずれのサイトもが、読み手に期待していない…あるいは「どこにもいない人」に対して、それでも何かを伝えようとしているように感じる。
それらの文章はWEBで公開されているのだから、そこで吐露されている文章はWEBを通過する全ての人の目に触れるはずだ。しかし、それらの人に向けて発せられたものでは…決してない。それは、まさに絵馬と同じだ。
1998年頃に自分のドメインを取り、その後数年してWEB日記というものを始めた2000年頃、大好きな言葉がありました。…これは2013年の今だって、やはり一番真実を突いていると思う言葉です。
わたしは、読む人の力をいつでも信じています。そうでなかったら一行も書けません。また、見抜く目を最高にもった人を想定読者にするのが、このメディアを続けていくための秘訣でもあります。言い換えると、これは「(存在しないかもしれないものを)けれど信じる」という高らかな宣言です。こういう言葉が好きで、そういう可能性が好きで…という気持ちをいつだって強く感じてます。
時折、こんなことを考えます。mixiとかtwitterとかFacebookとか、…身近に実在する人に向けて書いているのかい?、そんな想定読者に向けて書いていて、それは果たして「続けられるのかい?」「息が詰まりそう…と思ったりはしないのかい?」と、そんなことを考えたりします。
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