hirax.net::Keywords::「論語」のブログ



2004-03-21[n年前へ]

孔子がブログについて述べていた 

 「なんとなく論語を眺めていたら孔子がブログについて述べていた」という「孔子 on ブログ」ちなみに、

 孔子のように世渡りがヘタな人がブログを書いていたら、規約をよく読まないで記事を書いて、著作権をホスティング会社に奪われてしまうでしょう。イエスのように、長老に反抗してタブーを恐れない人がブログを書いていたら、きっとサーバを押収されるような騒ぎを起こしていたでしょう。
という「仏陀のブログ」も。

2004-07-11[n年前へ]

ヒーローは殺人鬼? 

 日本映画監督協会のヒーローは殺人鬼?  白倉伸一郎氏の「正義とJusticeは違う」という話を受けて

論語の「義を見てせざるは勇無きなり」の「義」、確か中国語で、足りない物を補う、という意味じゃなかったかな。義手とか義足とか それから考えると、正義という意味は、正しい事が足りない状況に於いて、「正しさを注入して不均衡を均衡に戻す」って事じゃないですかね? だとするとやっぱり、正義とJusticeはちょっと意味合いが違うかな

 そういえば、島本和彦のマンガで何人もの正義のヒーロー(ヒロイン)達が偶然出会い、「正義って何だ」とえんえん論ずる話があった。「オマエの-正義-は私怨じゃないのか」とか「オマエの正義は単なる俺ルール」だろう、とか。そして、最後にそれぞれの正義を持ちつつ、「いつかまたな」と別れていく話である。そんなことを思い出すのが次の言葉。
仮面ライダー龍騎は、「正義とは何か?」というのを考えた作品だったですね。13人のライダーそれぞれに正義があるんですよ。それぞれの体場で、正義と正義がぶつかり合って、最終的に生き残っていく正義って、いったい何か? 「ここにないのが正義」って所に着地したかったんですけどね
 そしてまた、こんな言葉のこだわりもとても興味深い。
人偏に共と書く「供」には従者という意味がある。小どもは大人のお供ではない。だから、「子供」ではなく絶対に「小ども」でなければならない
from A Study around Super Heroes



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