2009-05-20[n年前へ]
■A-bike(風自転車)で東京路地裏を走る
ここ一か月ほど、A-bike風自転車、8インチ空気タイヤ版A-bike模造品に(平均すると)毎日10kmくらい乗っている。そのうち5kmほどは使う必要があって乗っていて、残りの5kmほどは、自転車を手で持ち歩いているから、ふと乗っている、という具合だ。その「ふと乗っている」という感覚jは、一体どう書けば伝わるだろうか。
たとえば、100メートル先に興味そそられる店がある。たぶん、その距離なら、あなたはトコトコとその店まで歩いて行ってみる気分になることも多いと思う。「自転車を手で持ち歩いている」と、その「100メートル」は「1キロメートル」に等しい。例えて言えば、都会の電車の一駅くらいの距離なら、足を延ばして行ってみようかと思う、のだ(しかし、2kmを超えると、たぶん、ちょっと”エクササイズ”になる)。距離感覚が数倍変わると、眺めることができる世界が大きく変わる。それは、世界の座標系がビックリするくらい違うものになる。
先日、上野駅から東京駅までA-bike風自転車(8インチ空気タイヤ版A-bike模造品)で「散歩」してみた。上野公園を走り、落語の鈴本演芸場の前を通り、秋葉原では、若松通商には寄って、神田の線路沿いを通り抜け、そして東京駅八重洲口まで走った。たぶん、自転車に乗っていたのは30分くらいだ。
どんな場所にも、時間のエアポケットに入り込んだように感じる神秘的なスポットがある。たとえば、上野公園なら「上野大仏」や「穴稲荷」だ。そんな場所に行くと、懐かしいような・切ないような、何だかとても哀しい気持ちになる。
下に張り付けた動画は、神田から東京駅八重洲口出る瞬間近くの自転車で走った時に眺めた景色だ。A-bike風自転車で走りながら、片手のケータイで写し取った世界だ。この高架下の路地裏を抜け(時には飲み)、その後東京駅八重洲口のビルを眺めると、一瞬とても不思議な気持ちになる。そんな言葉にできない感覚に、そこを通るたびに、いつも包まれる。