hirax.net::iMはドラえもんの夢を見るか? ::(1999.02.03)

iMはドラえもんの夢を見るか?  

さようなら、ドラえもん

 Appleが出したiMacは「ドラえもん」を意識している、と私は思う。iMacの顔は白く頭は明るいブルーである。手、すなわち、マウスは真ん丸であり、体型も丸い。iMacのお腹にはCD-ROMが内蔵され、ドラえもんのお腹には4次元ポケットがある。顔の真ん中には丸い鼻(林檎マーク)がある。そして、色違いの妹がいる。
 ドラえもん(iMac)は色々なことを簡単にしてくれる(できる)し、部屋に一台いるという感じである。

 というわけでiMacは「ドラえもん」を意識していると思うのだ。iMacのデザイナーが「ドラえもん」を意識したか、あるいは藤子不二雄の未来を感じる力が優れていたのだろう。

iMacとドラえもん
それぞれ、
(http://www.imac.com/imac/media/imac-vr.mov)

http://home.hkstar.com/~wanming/doraemon/doraemon.htm
より

 ところで、私の通っていた高校はずいぶんと自由な学風だった。もちろん、私服であった。授業の科目に至っては「近代アメリカ文学」などというものまであった。変わった先生も多かった。
 その変わった先生の中で、サミー本田(一部仮名)先生は黒沢明の話になると(必ずその話になるのだが)、止まらなかった。
 サミー本田の「七人の侍」と「ドラえもん」の共通点から日本人の特性を語る話などは、今でも覚えている。他人に頼るばかりで、自分で戦おうとしない。日本人を駄目にしたのは「ドラえもん」というマンガだと言っていた。サミー本田には、他にも「素晴らしい芸術は完全な自由の中では生まれない」という持論もあった。

 確かに後者については私もそう思うのだが、前者については違う。藤子不二雄の画いた正式な3回目の最終回でものび太は一人でジャイアンと戦って、そしてドラえもんは未来へ帰って行った。また、fakeではあるがドラえもんの最終回(仮)(http://gamella.elcom.nitech.ac.jp/~satoh/doc/ware/dora.html)でものび太は自分の力で道を開くのである。fakeを例に出すのも、それが「ドラえもん」の生んだ文化であるという観点からすれば、構わないだろう。

 「ドラえもんとの共通点」という観点から、iMacというコンピュータには私は非常に感じる所があるのだ。夢のような話だが、何のために技術者になったのか、何を作りたいのかなどと色々考えてしまうのだ。

 

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