2008-01-03[n年前へ]
■「バベル」
映画「バベル」は、田舎町にある映画館のレイトショーで観た。142分の上映時間がとても短く感じると同時に、坂本龍一の音楽を聞きながら、数え切れないたくさんのことを考えさせられた。伝え合えない"Discommunication"な世界を観ながら、言葉にならないことを感じた。
I just did something stupid.
同じ世界、少しづつ重なり合う世界で生きているのに、小さなことが大きなズレとなり、そのズレがただひたすらに広がっていく「無常に流れる時間」を描いた映画「バベル」の背後にそびえているのは「バベルの塔」だ。スクリーンに姿を現すわけではないけれど、バベルの塔がいつもスクリーンの向こうに見えている。
Do you want something to eat?
バベルの塔というと、16世紀のフランドル(今のオランダ・ベルギー・フランスの一部)の画家
ピーテル・ブリューゲルが描いたバベルの塔が有名だ。9月11日にテレビ画面に映った映像は、まさにブリューゲルが描くバベルの塔の一枚に描かれた景色のようだった。そんな、世界の大きなできごと、あるいは、身の回りの小さなできごと、どんなサイズのできごとも、こんな「バベル」なことで満ちている。そんな伝わらない言葉がばかりが溢れてる。
初めに言葉があった。 万物は言葉によって成った。 言葉によらずに成ったものはひとつもなかった。
2008-01-04[n年前へ]
■「バベルの塔」と「宗教改革」
バベルの塔を描いたピーテル・ブリューゲルがネーデルランドに生まれた1525年は、ルターがドイツで宗教革命を始めた7年後だ。ネーデルランドでは新教のカルヴァン派が広まり、ついには旧教国スペインからの弾圧を受ける。そして、ネーデルラントの新教勢力は、旧教の支配から脱するためにオランダ独立戦争を起こす。それが、ブリューゲルが死ぬ一年前だ。そして、その結果ネーデルランドは南北に分裂し、現在に至る。
そんなことが始まった時代、宗教戦争で一つの地方が二つに分かれていく時代にブリューゲルは生きていた。そんな時代を想像しながら、互いに言葉を交すことができなくなり、人々が離れ離れになっていくさまを描いた「バベルの塔」の絵を眺めると、やはり色々考えてしまう。
2011-01-10[n年前へ]
■「高く空へ駆け上がる人たち」と「地面に這いつくばる自分」
長野オリンピックの舞台、白馬の八方尾根の麓で、白馬ジャンプ台を眺めれば、ノーマルヒルでも十分すぎるほど高く、ラージヒルはさらにその上まで伸びています。古代の時代から、人はあまりに高い場所に行ってはイケナイと伝えられていたように思います。たとえば、それは空高く飛ぼうとしたイカロスや、上へ伸びすぎたバベルの塔のごとく、人は高すぎるところに登ってはいけない、と神さまが人にいつも語りかけていたような気がします。少なくとも、絵本の中の人間たちは、いつもそんな風に描かれていたように思います。
白馬ジャンプ台のコース上に立つと、あまりの高さに体が思うように動かなくなり、ただただ、雪面と一体化したいと願います。しかし、そんな中、コースに入った雪をかき・溝を奇麗に整えようとしている人がいます。そんな人に「スキーのジャンプをされたことはありますか?」と訊ねれば、空から下を眺めるような笑顔で、「私もノルディック複合の全日本代表でしたから」とその人は笑うのです。
こんなところから、空へ飛び出して行く人たちは、「限界に挑み続ける人」をまさに具現化する人たちに違いない、とジャンプ台の雪上で這いつくばりながら確信したのです。そして、空へ高く飛び、雪降る林の中を駆ける人たちには、どうやっても近づくことはできないに違いない、と悲しく感じると同時に、そういう人を眺めることができることを心から嬉しく感じたのです。