2010-04-10[n年前へ]
■何気ない一言で、自分の経験と世界観は見えてしまう
角田光代の「恋をしよう。夢をみよう。旅にでよう。 」から。
人が何かを語っているとき、それがどんなに真実っぽく聴こえたとしても、それはデータでしかない、ということだ。それがその人の経験なのだし、世界観なのだ。何気なく言った言葉で、自分のデータの質と量がばれてしまうことになる。
2010-04-11[n年前へ]
■もっと動く。もっともっと、…頭が動くかぎりは考え続ける。
森達也の「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい 」から。
もっと動く。もっともっと、足が動く限りは走り、指が動くかぎりは書き、頭が動くかぎりは考え続ける。
2010-05-05[n年前へ]
■「世界観の変化」と「新製品の登場」
角田光代の「いつも旅のなか 」から。
私たちの生まれ育った国で、変化を味わうのは至難の業(わざ)である。もちろん、コンピュータの普及とか携帯電話によるコミュニケーションの変化とか、そういったことは体感できるが、それは変化ではなくて、単なる新製品の登場である。何か世界観みたいなものが大きく変わる、揺らぐ、それを全身で理解するということは、おそらく七十年代以降、あり得ないというのが私の意見である。
はつ恋
ウォークマンやケータイという新製品が登場したとき、それは、世界の見た目を大きく変えたような気がする。世界、それ自身を変えたのかどうかはわからないけれど、自分の世界の中にいるままで、街中を歩き、電車に乗ることができるようになった。その結果、たとえば電車の中であれば、それぞれの人の個別の世界が独立に存在することが、あからさまに見えるようになったように思う。
「世界観」はわからないが、「世界の見た目」はずいぶん変わった。「見た目」が変わるとき、「見る目=観」は一体変わらないでいられるものだろうか。
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