hirax.net::Keywords::「星の王子さま」のブログ



2010-02-11[n年前へ]

「星の王子さま」を捧げられた人  share on Tumblr 

 サン・テグジュペリ「星の王子さま 」冒頭の献辞から。

 レオン・ウォルトに
 わたしは、この本を、あるおとなの人にささげたが、子どもたちには、すまないと思う。(中略)そのおとなの人は、いまフランスに住んでいて、ひもじい思いや、寒い思いをしている人だからである。どうしてもなぐさめなければならない人だからである。

 サン・テグジュペリ「ある人質への手紙―戦時の記録〈2〉 (サン=テグジュペリ・コレクション) 」から。

 今夜しきりに思い出す人物は今五十歳だ。彼は病気だ。それにユダヤ人だ。どうして彼にドイツの恐怖を乗り越えられよう?

2010-03-14[n年前へ]

愛とは、見つめ合うことでなく、同じ方向を見ることである。  share on Tumblr 

 角田光代の「今、何してる? 」から。

 (フランスの作家、「星の王子さま」の作者、サン・テクジュペリの言葉から)「愛する、それはお互いを見つめあうことではなく、一緒に同じ方向を見つめることである。

 ふと、「お笑いパソコン日誌」に書かれていた、こんな言葉を思い出す。

 仮に、同じ流星を遠く離れた恋人同士が見ることができたとしても、悲しいことに、たいていは違うところを見ているのである。
 それは、同じ場所で同じ映画を見ても、必ず違う部分を見ているのと似ている。われわれは他人とまったく同じものを見ることができない。残念だが
 同じ方向を見ることはできないのかもしれない。だったら、せめて同じ方向へ、前へ、進むことならできるのだろうか。それとも、その「前方」は、やはり二人違う方向を向いているのだろうか。違う方向を向いているとしたら、それはただ離れていく方向なのだろうか、それとも、現実世界でよくあるように、やがてまたどこかで交(まじ)わったりするものだろうか。

 ここでは引用していないが、サン・テクジュペリの言葉を導入部分に使いつつ書かれた、角田光代の文章はやはり魅力的だ。変なたとえだが、それは久世光彦が書く、向田邦子の魅力に、少し、似ているような気がする。

2010-03-29[n年前へ]

飲んでいることを忘れたいから酒を飲むという「星の王子さま」に登場する問答を。  share on Tumblr 

 角田光代の「酔いがさめたら、うちに帰ろう。 」(鴨志田穣)への書評から。

 なぜ酒を飲むのか、飲んでいることを忘れたいからだという、「星の王子さま」に登場する問答を幾度も思い浮かべた。
 いってはいけない場所は避けて生きる。それが正論だが、人生は正論にはおさまらない。生きることはかくも理不尽である。それでもこの小説が絶望に彩られていないのは、「帰りたい」、そう切望する場所を、理不尽な「僕」が諦(あきら)めることをしないからだろう。

 「酔いがさめたら、うちに帰ろう。 」の「僕」は、とても理不尽で不器用で、その理不尽で不器用な「僕」が生まれてからの話、そして、「彼女」と描く-西原理恵子-のもとに、やはり限りなく不器用に「帰る」までの話である。「帰る」ことができた一節には、「帰りたい」と切望したその場所の大きさと魅力が透けて見えてくる。



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