hirax.net::inside out::02月11日

2001-02-11[n年前へ]

つ・つかれた…

 十日ぶりくらいでインラインホッケー。つ・つかれた…。

写真日記CGI

 カレンダーみたいな感じでサムネイル画像が表示されて、ファイル管理自体はHyperDiaryみたいなもの捜索中…。情報求む。

2002-02-11[n年前へ]

流星群 鬼束ちひろ

 リンク先はTRICK2のエンディングビデオ。(リンク)(リンク)(リンク

線路の向こう

 御殿場経由で東京。(リンク

2003-02-11[n年前へ]

「幕末未来人」最終回

BS2で今夜17時過ぎから、丸ごと放送。「雪が降る街を」が雪の中から不思議に聞こえてくるあの少年ドラマ。

一人で誰かに書いてみる。

 せかされるような感じでこんなのを作ってみました。TABキーパラパラマンガでIME入力を再現して、書き込みのようすをそれっぽく表示します。

 うわっ、500KBにもなってたのね。このHTMLファイル…。どうしようかなぁ…。

等身大パネル

 メモキャラT。メモ。

インクのリフィル

 インクのリフィル関連の興味深いリンク(これとかこれとか)が紹介されていて面白い。さすがだなぁ。
 そうそう、もちろん松本の辺りを目指して指名させて頂きました。

2004-02-11[n年前へ]

「メイビー、君は俺を好きになる」は「100%…Soかもね!」主義か?

 どうにもイヤンな感じなストーリーではあるけれど、月曜21時のドラマ「プライド」をたまに観る。「ホッケーのシーンがどうにも無理があるなぁ」なんて思いながら観ていると、「メイビー」という言葉が連発されている。木村拓哉演じる主人公が「メイビー、君は俺を好きになる」なんていうセリフを連発している。

 maybe=確率半々ってところだろうから、これは「君は俺を好きになるかも、ならないかも、どっちに転ぶかはよく判らないけど」というようなニュアンスなのだろうか。うーん、結構謙虚な台詞を吐く優柔不断な主人公なんだろうか?

 といっても、テレビを観ていて受ける感じでは「君は俺を好きになる、あぁ間違いなくね」くらいのニュアンスに聞こえてしまう。謙虚どころか断言調の台詞をやたらに語る命令口調主義の主人公に見える。

 これはやはりアレだろうか、今は懐かしシブガキ隊の「100%…Soかもね!」に始まる「かもね」=「確率100%」思想なんだろうか。「かもね。かもね。そうかもね」と言ってるにも関わらず、「100パーセントそう(かもね)」と断言してしまう、「かもね」=「100%そうだ」の希望的観測主義なんだろうか?。

 …どっちなんだろう?「プライド」の「メイビー」って、どの程度の確率の「メイビー」なんだろう。あぁ、知りたい。知ってどうになることでもないけれど、何故か知りたい今日この頃。

期待に添える範囲で

 そういえば、先週だったかラジオの番組のインタビューを受けた。が、いつものことだが、「こんなヤツのハズだ」という期待に添えているかどうかを考えると、逃げ出したくなる。いつだったか、ワイドショーのスタッフから電話がかかってきたときも、凄かった。あぁ、きっと私の部屋はビデオやPCでイッパイと思われてるんだろうな、と思うような感じだった。

 凄いと言えば、何年も前に工学社の「おもしろ実験サイトオールガイド」という本のための座談会に出た時も凄かった。(休出から直行で)「西武池袋駅前で集合」という、これも何ともイヤンな待ち合わせ方法だったが、「-西武池袋駅前-だなんてそんな大雑把な待ち合わせ方法で本当に落ち合えるのだろうか?」なんて当然起きる疑問も大間違いだったことがその場に行ってすぐ判った。「あぁ、今日のメンツはこの人達だろうな。いや、絶対この人達に違いないよなぁ」と断言できるような人達が集まっていたからだ。そして、「私もこの中の一人なんだなぁ…なじんでないよなぁ、いやそれともなじんでいるのかなぁ…うーん、一体どちらが良いのかなぁ…?」と考えだすと、これまた何ともイヤンな気持ちになったのだった(その気持ちは談話室「滝沢」の入り口でイラスト用の顔写真を撮られる段でピークを迎えたのだけれど)。

 まぁ、期待に添える範囲で適当に。「よっぽどおっぱいが好きな人なんだろう(by れいこさん@はてな)」と会う前には思われ、知り合った後には「とてもおだやかな雰囲気を持つ大人の人」に印象が変わってしまった私だけれども、期待に添える範囲で適当に…。ということで、次のできるかな?は「帰ってきたオッパイ星人の力学 アダルトビデオ鑑賞 編(仮題)」だぁ。ワイン飲みながら、動画ブロックマッチングソフトも作ったし、サンプルビデオも落としてきたし、科学の力で「オッパイ星人の力学 アダルトビデオ鑑賞三昧!? 編(仮題)」だぁ。(本当に、おだやかな雰囲気を持つ大人の人…?)

今日のロボット

ロボットになったらラクなこともありますか.
 何処かで読んだいつか眺めた「今日のロボット」。

2005-02-11[n年前へ]

「四捨五入と五捨五入」

あけてくれ - おれカネゴンの「算数できんの気にし過ぎとや」日記kom’s log おれカネゴン「算数記」経由で「日記における四捨五入」を読んでみる。「自分の中の何かを四捨五入して、切り捨ててみたり・切り上げてみたり、そういう感覚はあるかもね」なんて考えながら、ふと、心に思い浮かぶのは四捨五入ではなくて、五捨五入(JIS Z 8401 特にiii項)(ISO31-0)

 自分の中の何かだったり、自分自身が、四捨五入される感覚というのはありがちなものだと思う。今時の季節であれば、もしかしたら受験生なんかはそんな感覚を持つことも多いかもしれない。四と五ではほんの一つしか違わないのに、四捨五入後には大違いになるのだから、自分の力が四以下にならないように、なんとか五以上までがんばって上げないと…なんて思ったりしたことがある人も多いかもしれない。捨てられるか捨てられないかの瀬戸際で、自分自身の桁の数値を大きくしてみようか、なんて思ったことがある人もいるかもしれない。

 四捨五入では、「どこかの桁」が切り捨てられるか切り上げられるかは、その桁自身の値の大小で決まる。ところが、五捨五入だと(もちろん、この方法を使う必然性があるわけだけれども)その桁を切り捨てるか・切り上げるかは、(その桁ではなくて)その上の桁が偶数か奇数かで決めてしまう。つまりは、自分が切り捨てられるか切り上げられるかの運命決定権は自分の上の桁が持っていて、その桁がサイコロを適当に振って自分の行く末を決めてしまう。「自分を四捨五入する」と「自分が五捨五入される」のと、どちらがありがちなのかはわからないけれど、どちらもよくありそうな話だ。
株式会社データアクション 油断ならない四捨五入
 「日記における四捨五入」の話に戻るなら、「四捨五入は必ずプラス側に誤差を生じる」という言葉を、この場合にはポジティブに眺めてみるのも、それはそれで良いのかもしれない。今回のような話題であれば、そういったこともあるかもしれないから。「四捨五入で必ずプラス側にシフトする」といったようなことが、少しはあるかもしれないから。

(ところで、こんな話題を書こうとする時、いつも「おれカネゴン文体」霊に憑依されそうになるのは一体何故なのだろう【人は誰しもおれカネゴン】)

らくがき展覧会

第一回第二回 第一回第二回に引き続き、第三回目のらくがきボードで展覧会。「らくがき数学の分数教室」も始まっているようです。「らくがきオッパイ星探し」のQAコーナにもなっていた…みたいですね。
 それにしても、上手いものも多いです。ririoなどのマウス運びや、醤油瓶の立体感、そして、doraの構図など少しビックリしました。"The Art"など、描かれていく筆を眺めると「あぁナルホド〜」と思わせるオチがついているものも多いので、順番はあくまで参考にとどめて眺めてみると良いかも。  (遊びに来たらしき「しなもん@渋谷」には良い遊び場が見つかると良いですね…)

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「神奈川沖浪裏」で波乗り

http://www.kendallbruns.com/2004/040311wavePolaroid.jpg 葛飾北斎の有名な版画といえば、大波の向こうに富士山が見える「神奈川沖浪裏」である。その「神奈川沖浪裏」の波の上でサーフィンをした人がいる。こんな記念撮影用パネルを美術館に置いてみたりしても、とても面白いかも。



「数学と美術」

 Indiana University-Purdue University Indianapolisの数理科学の授業のテキスト「数学と美術」 数学や美術好きなら必見。 from MATH 290 Mathematics and Art

津波研研究報告

 「津波防災アンケートを対象としたテキストマイニング手法」「危険度ポテンシャルを導入した津波避難シミュレーション」「住民意識・行動を考慮した津波避難シミュレーションモデル」などなど、なかなか興味を惹かれるような「津波研研究報告 土木学会東北支部講演概要

元素周期表の覚え方の×●バージョン

 元素周期表の覚え方の「正規バージョン」と「お下劣バージョン」 例えば、「おっぱいをしつこく攻めてるポール牧」…は16族。化学の世界ってスゴイなぁ。私は…質実剛健ストイックな物理系だったからなぁ。

二倍角の公式の覚え方の×●バージョン

 三角関数の加法定理、二倍角の公式

cos 2θ = cos θ * cos θ - sin θ * sinθ
を覚えるのに、「cos 2θ = こちんこちん - ちんちん」って…。数学の世界ってスゴイなぁ。私は…質実剛健ストイックな(以下省略)。  from らくがきボードでちょうど100番目にラクガキをした方。

「電子写真技術のシミュレーションに関する講習会」

日本機械学会 情報知能精密機器部門講演会 前にも宣伝を書きましたが、来月の3/22.23に開催される機械学会主催の「電子写真技術のシミュレーションに関する講習会」お勧めです。学会員でない企業参加でも、二日間合わせて三万円なんですから…。内容たっぷりのテキストには実行可能ソースも付いてるし、関連業種の方はひとついかがでしょうか。すでに定員の半分の申し込みがあるということなので、申し込みはお早めに。

2006-02-11[n年前へ]

「男の子はなぜ女の子より劣るのか」

今週の中吊り | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト 「男子の学力低下が深刻なアメリカで、性差による学力格差の現状と男女別学指導法の有効性について論じる」というニューズウィーク日本版2006-2・15号の「男の子はなぜ女の子より劣るのか」男と女って(もちろん、人それぞれに色々違うが)違うところがあって面白い。
 一点、記事中に出てくる「結晶の大きさを測定する実験を行った。女子クラスの生徒は、手引き通りに実験を進める。男子クラスでは、まず『これ食べることができますか?』という質問に答えなければならない」という話を、記者が何を示す例として出しているのかについて悩む。

hirax.net カムバック

hirax.net しばらくの間、というよりずいぶん長い間、hirax.netのトップページも(トップページからリンクされている)「できるかな?」もほったらかしにしていた。これではいけない、これではまずい。
 …というわけで、まずはページの掃除をして、気分一新してみました。まっさらさらになったページを眺めてみると、なんだかやる気が湧いてきます。

「四捨五入と五捨五入」

 from n年前へ.

 自分自身が、四捨五入される感覚というのはありがちなものだと思う。今時の季節であれば、もしかしたら受験生なんかはそんな感覚を持つことも多いかもしれない。 四捨五入では、「どこかの桁」が切り捨てられるか、あるいは、切り上げられるかは、その桁自身の値の大小で決まる。ところが、五捨五入だと、その桁を切り捨てるか切り上げるかは、(その桁ではなく)その上の桁が決める。 つまりは、自分の運命決定権は自分の上の桁が持っていて、自分の行く末を決めてしまう。「自分を四捨五入する」と「自分が五捨五入される」のと…

カスタマイズLinux isoイメージ作成サービス

アメリカでがんばりましょう: Instalinux で OS のインストールが変わる 「ブラウザ経由で、ディストリビューションやインストールするコンポーネントやネットワーク設定などを入力し、サイズの小さなインストール用の最新iso イメージファイルをダウンロードすることができる」という"カスタマイズLinux isoイメージ作成サービス"Instalinux記事

「ギガピクセルフォト作成プロジェクト」

公立はこだて未来大学 ギガピクセルフォト作成プロジェクト 「函館山から見た函館市内と、その周辺の地域のディジタル写真を10ギガピクセル以上の1枚の巨大な画像に合成し、インターネット上で自由に閲覧するシステムを構築する」ということを「公立はこだて未来大学のシステム情報科学演習」授業の中で行っている「ギガピクセルフォト作成プロジェクト」 約3000枚の画像を合成し、10ギガピクセルを超える画像を作成・表示している。

2008-02-11[n年前へ]

「ギャラリーフェイク」と「コピー」

 美術の歴史を知ると面白く感じる。そして、ミステリー=謎解きも好きだ、と感じる人がきっと好きになるマンガが「ギャラリーフェイク」だ。時には、「カルマン渦」や経済学者でもあったマンデルブローの"株価変動予測"フラクタルを考える「連立不当方程式」といった理系心をくすぐる話も詰まっている(13巻目第2話)、そんなマンガだ。

 「フェイク」つまり、「偽造した絵画」を題材にしたマンガ「ギャラリーフェイク」を読むとき、いつも思い出すのが「コピーの時代」という美術展だ。『現代の私たちの日常生活には多種多様な「コピー」が満ち溢れています』という言葉で幕が開く美術展を見たとき、感じたのは「コピー」が持つ劣化性だ。そして、「コピー」が持つ「進化能力」言い換えれば「可能性」だ。

 時に、自分が何かの「コピー」になってしまいそうに感じる瞬間がある。影響を受けたものをただなぞるだけ、になってしまいそうになる。しかも、幸か不幸か「テキストをなぞるのが不得手」なせいか、劣化コピーになってしまうことが多い。

 …これは困ったものだと感じながら、そんな時は、小器用なコピーでは、無限縮小コピーになってしまいそうだから、「とても質の悪いコピー」は「一種の進化だ」と眺めなおそう、と思ったりもする。小器用な縮小コピーを続けていたら、原始生物も人類も生まれなかったかもしれないし。