2005-06-06[n年前へ]
■どんな「腸内菌」になりたい?
走り書き2005から、「必読」シリーズを読む。森山氏の
で。僕はそれで食べて行かなくちゃいけないライターなわけだから「理系の人がどこを面白がっているかについて書く」ことが、どうすれば日銭に結びつくかを考えなければならない、ということですかね。という二年前の文章(及びその前後)に感銘を受ける。感銘のあまり、何回も繰り返し読んでみた。
そういえば、「2ちゃんねる研究」が終了した頃、「新聞のニュースインデックス」に関して、こんな感想を書いた。文体が気に入らないので、ちょっと変えてみるとこんな感じになる。
私は他人の褌は嫌いだ。他人が作ったニュースインデックスは少なくとも、他人のものに違いない。「他人の作ったニュースをたれ流しすることで商売したり」するのは実につまらないと思う。 もっとも、それが新聞社や記者のものかと問われれば、そもそも「そのニュースは誰のものか」ということを考えるべきだ、と思う。「他人の作った人生で商売をする」というのはどういうことなのか、もう少し考えて欲しい、と思う。 人間誰しも寄生虫なのだと思う。そんな寄生虫、あるいは、腸内菌にだって色々あるに違いない。どんな腸内菌になるかは、…その人次第だと思う。私は、話題の発端となったサイトは今回も読んでいない。だから、その、今日思ったことは、「『理系の人がどこを面白がっているかについて書く』ことが、どうすれば日銭に結びつくかを考えなければならない」という言葉から、「どんな腸内菌になるかは、その人次第」と思った時のことを思い出した、というだけである。
2005-09-11[n年前へ]
■「経済学とはどういう学問ですか?」
Tech総研ブログに「経済学とはどういう学問ですか?」を書きました。
そうえいば、おれカネゴン先生が「統計学」の本を書いたらさぞ人間くさい数学本ができるのだろう、と先日ふと思いました。もし、できれば【おれカネゴン】文体だったりしたら、最高に人間くさく崇高!?なものができるハズです。
2005-12-31[n年前へ]
■今年作った「12のもの」
今年一年12ヶ月、その間に作ったものの中から「12のもの」を選び、下に並べてみました。
1.『坂村健 + 竹村健一 = 坂村健一』
こうした努力の結果が、"坂村健"のイメージ検索結果 第一位に繋がりました。
2.『キース・ヘリング描く「崩れ落ちる男"orz"」』
3.『(16才の頃)「知っておきたかったこと」』
『16才の頃、同じ高校一年生として 同じ高校 へ通っていた、 つまりは同窓生の Shiroさんなどを見ると、「自分は二十年の間に何もできなかったなぁ」とつくづく思う』という言葉は本当に心からそう思うのです。それは、その年月を経たからこそ、強くそう思うのです。
4.『【おれカネゴン文体】Wikiページ』
そういえば、〜【おれカネゴン】文体誕生とロック音楽史と福音書〜の項を書いたのも私自身でした。
5.『スライド・デザインにおける「上手と下手」』
「上手と下手」は「かみてとしもて」と「じょうずとへた」をかけてあります。
6.『「ピーターの法則」のまとめ資料』
7.『「科学のブラ」が株式会社トリソプから新発売』
こんなエトセトラが、日本テレビの「生着替え」に繋がったわけですね。
8.『「未来の立体ディスプレイ」を作る』
これ、実際に眺めてみても結構面白いです。
9.『「心の中が見える装置」』
くだらないものですけれど、こういう「装置」って素晴らしいんじゃないのかな、と思うのです。
10.『「坂村健」が選挙に出馬!?』
こちらは、"坂村健"のイメージ検索結果 第二位です。
11.『ホルモンバランスで移り変わる女性の平均顔のフラッシュ 』
生理周期で変化する女性の「平均顔」をFlashにしてみました。
12.『「ウォームビズ・カリキュレータ」』
スラッシュドットへ行って、それが記事になってたりすると一瞬びっくりします。
2009-04-12[n年前へ]
■読む人が真似をしたくなる江國香織の「作文術」
江國香織の文章は、本当に的確で、読んでいるととても気持ちが良くなる。文字をそのまま追っていくだけで、書いてあることが「すぅっと」頭の中に収まってくるし、それでいて何度読み直しても新鮮だ。
江國香織が22人のインタビューイに「子供のころの話」を聞き、それを文章にした「十五歳の残像 」を読むと、そんな感覚をどの頁・どの行からも感じることができる。たとえば、 「すとん、と伝えるひと――――安西水丸さん」ならこうだ。
理屈では説明できないこと、というのがある。とても簡単なことなのに――――とても簡単なことだから、と言うべきかもしれないが――――、説明はできない。
たとえば。
わかります、と、私は思わず声を大きくしてしまう。一体何がわかったのか、どうわかったのか、はよくわからないままに。
なんの理屈も説明もなく、ただすとんと胸におちてくる。江國香織の文章には、とてもわかりやすく納得させられてしまう。そして、不思議に心地よい。
江國香織の文章の恐ろしいところは、彼女の書いたものをよむと、その江国香織の「文の調子」「文体」を無意識のうちに真似しようとしてしまうことだと思う。もちろん、そんなことは誰にもできない、のだけれど。