2014-12-14[n年前へ]
■フェルメールが描いた「デルフトの眺望」と「デルフトの緯度」
フェルメールが「デルフトの眺望」が描いた場所を眺めたくて、朝7時過ぎ、フェルメールが景色を眺めていたはずのZoidkolkの辺り、運河が広くなり・直角に曲がる辺りに行ってみました。デルフトで観る12月の朝6時は、日本で言えば真夜中・深夜で、ただ暗闇の空に街並みが浮かび上がる景色です。
北緯53度に位置するオランダ・デルフトの景色を眺めていると(札幌ですら緯度43度です)、冬近い晩秋の1日は、太陽が地平線から上り空を明るくし始めるのが朝の9時くらい、昼過ぎでも太陽は地平線近くの低い場所にずっと居て、まるで夕焼けか朝焼けのような光で地平を照らしている…ことに気づかされます。
フェルメールが描くデルフトの景色や、同時代の画家たちが描くオランダの景色はとても魅力的で、刻々姿を変えていく(まるで夕焼け間近のような)柔らかく朱色に染まりつつある雲や空を、瞬間的にキャンバスに写し取る画家たちの技術は信じられない技巧に思えます。…けれど、オランダ・デルフトの緯度を考えてみれば、(日本で言えば)朝日や夕日のような角度で地球の大気を照らし・朝焼けや夕焼けのような色合いの光で照らされる空と街は、実は日の出から日暮れまでのほとんどの時間の「恒常的な、どの瞬間にも観ることができる普通の景色」でした。
たとえば、 12月の今頃の朝の9時・11時・昼の13時にデルフトの街から眺めることができる太陽の高さをGoole Earthで眺めてみると、「デルフトの眺望(南北的には逆方向を眺めてます)」は下の画像のような具合になります。驚くほど、太陽が地平線に張り付いているのが、フェルメールが暮らし・その一生をかけて景色を描いた街で見ることができる風景でした。
2015-04-17[n年前へ]
■「世界の何処か」で響く音
ドイツ・ベルギー・オランダの3国境近くにあり、EU(ヨーロッパ連合)に関する条約であるマーストリヒト条約が結ばれたマーストリヒト(Maastricht)に行き、古街の中心を自転車でウロウロしていると、ハングドラムの美しい響きが通りを綺麗に流れてます。それはまるで、SONYの美しいCM映像のようで、心から聴き惚れ・そして見とれてしまいました。
2015-04-18[n年前へ]
■自転車王国で「逆向き乗り2人乗り自転車」を見てビックリするの巻
「自転車王国」に行って驚いたのが、自転車乗りの「平均レベル」が全然違うということでした。たとえば、空気抵抗がCd 0.1くらいになりそうな全高50cmくらいの(中にいるはずの人の気配を全く感じることができない不気味な)超完全風防付きリカンベント自転車が、商店街を(やはり)超高速で走り抜けていたり、全自動の(どうやってバランスをとっているのか全く分からない)一輪車自転車が高速で走っていたりします。
そんな自転車くらいなら「ヘン」の一言で済ますこともできるのですが、こんな2人乗りのタンデム自転車が横を走ってたりすると、かなり反応に困ります。ちなみにこの自転車、進行方向は「左向き」です。右側に位置する女性のハンドルは固定されていて、自転車の向きを変えることはできません。つまり、ある種の結論は、「自転車王国をあなどってはいけない」「何より、後ろ(反対)向きで自転車に乗り、バランスを上手くとる後ろの女性(たち)が何より凄い」かと思われます。
2015-04-29[n年前へ]
■オランダ風景画で印象的な「画面を広く占める空」の不思議?
オランダ風景画を見るたび、そこに描かれている「遙か遠くまで広がる空」が印象的だった。たとえば、オランダ風景画でGoogle画像検索すると、キャンバスの2/3くらいの広さに青い空と横方向に延びる白い雲が描かれていて、その景色がとても印象的だ。それは、たとえば、日本の油絵風景画でGoogle画像検索してみた結果と比べると、その違いがよくわかる。日本の風景画では空はキャンバスの上部1/4程度を占めるに過ぎない。
けれど、実際に平らな地形が遙か彼方まで続くオランダで過ごしてみると、オランダ風景画に描かれた「地平線」は確かにあの位置で合っていて、視界の上部2/3領域は、ほぼ空で占められているように感じてしまう。地平線は視線の高さにほぼ位置するはずだが、実際にその高さに地平線があると、(幼い時期を高い山に覆われた長野県の野辺山で育った人間としては)感覚的には、それより遙かに広い部分を空が占めているように感じてしまう。高村光太朗は、智恵子抄に「智恵子は東京に空が無いと言う」と書いたが、おそらく智恵子がオランダに来たならば、「オランダには空が有りすぎる。ほんとの空が見たい」と、遠くを見ながら言いそうな気がする。
不思議なのは、なぜここまで日本の景色とオランダの風景で地平線の高さが違って感じられるかだ。たとえば、山が多い日本の風景を眺めるとき、10キロメートル先に標高差1000メートルの山があったとする。その山の高さは目の高さよりも6度くらい上方に位置するに過ぎない。人の視界は上下方向におよそ60度くらいだと聞くから、(日本における山の存在が地平線の高さに与える影響が)6度程度だとしたら、それはたかだか画角上で高々10パーセント程度の違いにしかならない。…しかし、それは実際の感覚とずいぶん違う。
地平線近くに位置する月は、本来の大きさに比べてずいぶん大きく見える。それと同じように、地平線近くでは、わたしたちの感覚は角度方向を大幅に増幅させる効果でもあるのだろうか?…オランダ風景画で印象的な画面を広く占める空は、実際の感覚と極めて良く一致する。しかし、その現象と一致する説明は、頭の中でまだ行うことができない。
2015-05-09[n年前へ]
■自転車乗りつつ投げ入れることに最適化されたような「ダンクシュート的ゴミ箱
自転車王国に「普通」にあって、けれどそれを意外に感じたのが、この自転車乗りつつ投げ入れることの最適化されたような「ダンクシュート的なゴミ箱。…さて問題です。自転車に乗り・(地球表面上で)手から離したゴミがこのゴミ箱が自然な軌跡で入るとしたら、自転車に乗る人たちの平均時速はおよそ何kmになるでしょうか?