2009-08-03[n年前へ]
■「うつくしいのはら」と「パーマネント野ばら」
ほぼ同時期に書かれた、西原理恵子の「うつくしいのはら」、そして、「いけちゃんとぼく 」、そして、「パーマネント野ばら 」は、同じひとつのモチーフが繰り返し繰り返し書かれていて、その繰り返されるモチーフに、どうしても心動かされてしまう。
私は私の空豆をみつけることができて、
うれしくてしかたがない。
2010-05-17[n年前へ]
■「ずっと」も「好き」も、どこにもないから
西原理恵子原作の、映画「パーマネント野ばら」に対する、森山京子の言葉。
誰かを愛さずには生きていけない。愛しているという思いこみでも、かつて熱烈に愛したという記憶でもいい。心の傷に蓋をし、タフな明日を迎え撃つためにも、その熱の微かな残りを抱きしめていたい。
テレビで、おそらく宣伝番組なのだろう、映画「パーマネント野ばら」を作り上げた女優三人が「女の嘘」というものについて話をしていた。誰だろう、菅野美穂でもなく、小池栄子でもなく、池脇千鶴だったろうか、女の嘘というモチーフに対して、「女が男につく嘘」の話をしていた。…「パーマネント野ばら」に描かれているのは、そういう味の嘘でなない、ように思う。
「ずっと好き」はどこにもないから、『私は、毎日、「嘘」をつく』…けれど、それは他の「誰か」につくのではない。その「嘘」という名の物語を語る相手は、「自分自身」である。騙(かた)る相手は他の誰かでなく自分自身だということにこそ、哀しさと切なさと真実がある、と私は思っている。誰かを信じさせる「嘘」ではなく、「自分」を信じさせる嘘だからこそ、切実で哀しくて、そしてリアルなのだと私は思う。
私は毎日、小さな嘘をつく──。
それから、王子さまとお姫さまはキスをして、
二人はいつまでも幸せに暮らしました―。
そんなお話は この世に ないけど―。
好きやずっとなんて、ないことは、
とっくのむかしから知っている。
だから、わたしは、
毎日、小さなウソばかりついている。
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