2000-08-03[n年前へ]
2001-08-03[n年前へ]
■今日の涙と大笑い 川原泉編
高校時代から大好き。本箸馨子も。大学院卒業と同時に「花とゆめ」は読まなくなったけど。
〜 99年頃の、「コミック・ファン」という雑誌にあった 「川原泉特集」での筆記インタビューによると、 かーら教授のお父さんは教授が5歳のときに 病気のため亡くなられているそうです。 「あんまり記憶にはないけど優しい人だった」とコメント してたと思います。 「中国の壷」の冒頭部で、ヒロインが父と死に別れるシーンは実体験も含まれてるんかなと思ったり。〜 from 388
「架空の森」大好きなんですけど、さっき読みかえしたら、 あのよーしゃべる少年が、えなりかずき君に思えてしょうがなかった。 from 518(リンク)
2003-08-03[n年前へ]
■海と空と
今日は我入道を歩く。浜辺を歩いている親子や、波に向かって走っている家族や、そんな海を眺めている中国人風の青年を眺めてみた。充電器が見あたらないので、いつまでデジカメを使えるか不安だけど、とりあえず今日眺めた景色にカメラを向けてみる。そして、今日私が見とれた景色をここに貼りつけてみる。
写真を楽しんでいる人もいるということだから、カメラを持ち歩いてみようかな。電池はもう持ちそうにないけれど…。
■気持ちは景色の中にある?
「写真というのは、気持ちを投影するのだろうか?」という日記を読む。写真に投影されるのは気持ちではなくてやはり景色なんじゃないのかな、と思う。だけど、どういう風に眺めた景色を投影するか、どういう風に景色を切り取るかは撮影者の気持ち次第だから、写真のどこかに撮影者の「気持ち」が投影されているのかもしれないですね。少なくとも、「写真に写っている風景」は「誰もが眺めたときに見るだろう景色」ではなくて「その撮影者が見ている景色」なんだから。撮影者が切り取って残そうと思った景色なんだから。
2004-08-03[n年前へ]
■日本橋から走って、御殿山ヒルズで一休み中
以前は毎朝ランニングをしていたのに、最近全然していない。というわけで、今日は久しぶりに8kmほど箱根の麓を走ってみた。ただ、それだけだと張り合いがないから、東京日本橋辺りを出発したつもりになって、走った距離数だけ(精神的に)地図上で移動してみることにしよう。とりあえずは、東海道にでも沿って名古屋・京都・大阪と移動してみることにしよう。そして、せっかくだから、九州まで行って、その後北海道に行ってみることにしよう(それは絶対無理かも)。
まずは、今日走った距離は8kmだから、ちょうど日本橋から御殿山ヒルズ付近まで走った計算になる。うん、この分で行くとすぐに東京を脱出できそうだ。現実の都会でなくて、地図上の都会を走るのは結構気持ちが良いかもしれない。何より、飽きないし。
もしも、飽きずに走り続けたら、ここを読んでいる方の住む辺りの近くを(あくまで精神的に)走るかもしれません。その際には、走ると(やっぱり精神的にですが)面白そうな場所のご案内などして頂けたら幸いです。
というわけで、今日の一休みは御殿山ヒルズの前辺り。走った後には、当然ですが尾てい骨の痛みが増しました。うぅ。
2005-08-03[n年前へ]
2006-08-03[n年前へ]
■「行動経済学」@ホワイトボード
夜、新橋で「行動経済学 経済は「感情」で動いている」の友野典男さんへのインタビューのテープ起こし文章(2時間分でトータル A4 30ページ!)を元に、「行動経済学」@ホワイトボードを描く。ホワイトボード中に大きく登場している「幸福の科学」は、もちろん実在の団体とは関係ありません…よね。
ちなみに、記事公開は来月中旬予定です。原稿締め切りは来週だけど…。
「愛情はヒューリスティクスですか…」「そう」「愛情は経験則だったんですか」「愛情はね、経験則というか、 相手を決める手っ取り早い方法ですよ」
「ということは、明らかにメリットやデメリットが計算できるような人だったら、愛情の出番はないのかもしれないんでしょうか?」「そう。ないかもしれない」
■「今日見た景色」
from n年前へ.
だけど、どういう風に眺めた景色を投影するか、どういう風に景色を切り取るかは撮影者の気持ち次第だから、写真のどこかに撮影者の「気持ち」が投影されているのかもしれないですね。
少なくとも、「写真に写っている風景」は「誰もが眺めたときに見るだろう景色」ではなくて「その撮影者が見ている景色」なんだから。撮影者が切り取って残そうと思った景色なんだから。
2007-08-03[n年前へ]
■毎日の景色
from n年前へ.
我入道を歩く。浜辺を歩いている親子や、波に向かって走っている家族や、そんな海を眺めている中国人風の青年を眺めてみた。
「愛情はね、経験則というか、 相手を決める手っ取り早い方法ですよ」
少なくとも、「写真に写っている風景」は「誰もが眺めたときに見るだろう景色」ではなくて「その撮影者が見ている景色」なんだから。撮影者が切り取って残そうと思った景色なんだから。
2008-08-03[n年前へ]
■続 WEBベース「ビジュアル言語」を作る
『画像処理WEBアプリを簡単作成用「ビジュアル言語」を作る』で作成した叩き台のイメージは、「データ処理フローを並べ終わった瞬間に、基本的にはアプリケーション作成(と簡単なテスト)が終わっている」というものです。「並べること」が「 プログラミング」「画面デザイン」「初期テスト」のすべてを兼ねていること、が大切で、そういう「ビジュアル言語」を作ってみたかったのです。「アイコンを並べたあとに "RUN" ボタンを押してプログラムを走らせる」とか「アイコンを並べコーディングをした後に、今度は画面デザインを別画面で設定する」なんて面倒なことはしたくない、と思ったのです。
そういう作りをイメージした理由の一つは、画像処理アプリケーション(おそらく多くのデータ処理アプリケーション)は、「画像アップロード(データ入力)部」「スライダーやテキスト入力による数値入力部」「データ選択」「フィルタ(演算)処理」「種々の特性の表示部」といったせいぜい数種の比較的限られた機能を並べることで作られていることが多い、ということです。その並べ方にアプリケーションの特徴があったりするわけです。
また、それぞれの基本パーツはどれもJavaScriptで覆われていることで機能拡張を楽にしたい、という構想設計ならぬ妄想設計に基づいています。5,6種類の数少ない機能を持つ基本パーツを作ってしまえば、あとはいかようにでもできるだろう、というイメージです。
たとえば、「フィルタ(演算)処理」なんかは、JavaScript中のSJAX先アドレスを変えるだけで(それらアドレスに応じたサーバ側コードは当然用意するとして)、色んな画像処理フィルタを自由に作ることができるわけです。そういう風に基本パーツを継承した派生パーツを作っても良いし、あるいはパーツの組み合わせでさらに新しいパーツ(関数)を作っても良いわけです。以前 Imagenerator でもやったように、いくつかの簡単な機能を組み合わせたものを、さらに一個のパーツ(関数)として保存できるようにしておけば、機能を増やすことも簡単にできるだろう、ということになります。
……と書くより、ひとことで言ってしまえば「何だかそれって面白いな」と自分で思えるものを作って遊んでみたかった、ということですね。
データの送受信が、(下の動画(高解像度版)のように)グニュグニュと揺れ動く振動や画像の変化で実感・体感できたり、それがJavaScriptでラップされている設計構造とか「何だかそれって面白い・楽しいかも」と遊んでみたかっただけ、なんですよね。ひとことで書いてしまえば。
2009-08-03[n年前へ]
■エクセル2007で綺麗なグラフ動画を作る
Microsoft Excel 2007 を使うと、割に綺麗な色のグラフ(チャート)を作ることができる。少しカスタマイズすれば、こんな具合に科学技術プレゼン用のグラフができあがる。
綺麗なグラフを簡単に作ることができるのなら、今度はその綺麗なグラフを動画で眺める「綺麗なグラフ動画(チャート)」を作ってみたくなった。そこで、まずは、次のようなRubyスクリプトで「グラフ(チャート)を回転させたようすを写した連番JPEG静止画像群」を作ってみた。
excel=WIN32OLE.new("excel.application") ・・・ excelchart=excel.Charts.Add() ・・・ i=1000 0.step(359,3) do |rot| excelchart.rotation=rot excelchart.Export( 'c:\\images\\'+i.to_s+'.jpg', 'JPG'); sleep(0.05) i+=1 end
そして、JPG to AVIを使い、JPEG画像群をAVI動画ファイルに変換した。それが、下の動画である。ひと昔前、いや、ふた昔前なら高価な専用ソフトが生成するような動画を簡単に作ることができることを意識すると、少し不思議な気分になる。
2010-08-03[n年前へ]
■"ひと回り小さなサイズ"の8インチ空気タイヤ版A-bike
"(普通のA-bike型自転車よりも)ひと回り小さなサイズ"の8インチ空気タイヤ版A-bike型自転車が気になっています。一番右の写真の、奥が通常のa-bike型自転車で、手前が”ひとまわり小さなサイズ”の8インチ空気タイヤ版A-bike型自転車です。
フルサイズA-bike(型自転車以上に)非実用的のようにも思いますが、何だかとても魅力的です。
いつも携帯する携帯電話、つまりケータイがあるよう に、いつもケータイできる自転車というものがあっても良いように思います。そんな「あったらいいな」を形にすると、さて、どんな姿になるのでしょうか?
2011-08-03[n年前へ]
■「女芸人が憧れる女芸人」と「男たちが憧れるメロディ」
ナインティナインのラジオ「オールナイトニッポン」を聴きながら河沿いを歩いていました。「お笑い」という繋がりから、昨夜観たTV番組「ロンドンハーツ」を見た時に感じたことを思い出しました。
「女芸人198人が、自分が憧れる女芸人を回答する」という内容のコーナーを笑いつつ・同時に少し涙しつつ眺めつつ、「○×さんはお笑いも私生活も充実・安定していて、(私も)あぁなりたいと感じている」という理由が挙げられていることが多いことを、そのことを少し新鮮に感じました。
なぜ新鮮に感じたかを考えると、私が思う「憧れの対象」というものは「強く心を惹く・奪うものだけれど、そうなりたい・そうしたいかというと、それはとっても大変だから…なりたくないような気もするし、う〜ん、一体どうなんだろう?」と感じるような存在であるように思えたからです。「(私が)憧れる対象のもの」というのは安定とかそういったものとは、少し違うように思われて、「○×さんはお笑いも私生活も充実・安定しているから(私も)あぁなりたいと感じている」という理由が繰り返されることを、意外に感じたのでした。
そんなことの背景にありそうなことを考えながら、河にかかる橋の上を歩いていると…不意にギターとドラムの演奏が頭の中に響き始めました。曲がランダムに再生されるシャッフルモードにしていたので、脈絡なく突然に「男達のメロディー」の演奏が始まったのです。
走り出したら、何か答が出るだろうなんて、
俺もあてにはしてないさ。
「憧れ」という言葉を聞いたとき、どんな意味を思い浮かべるものでしょう。心を惹くもの、心を奪うもの、理想的に感じられる何か…人によって違うこと・さまざまなことを思い浮かべるに違いありません。
憧れるという言葉は、「本来の場所から離れる」ことを意味する「憧(あこが)る」に由来します。心や体が、ふだんいる場所から離れ、どこかを彷徨(さまよ)う」ことを示します。県境いの大きな河を渡りながら聴く「男達のメロディー」は、ソーラーカーに乗り日本全国を旅していたTOKIOが歌うバージョンで、昔の本来の場所から離れ・彷徨(さまよ)う「憧(あこが)る」という言葉を思い起こさせました。「どうせ一度の人生さ〜」と両耳から注ぎ込まれる歌声を聴きながら…そして、私が思う「憧れ」は「憧(あこが)る」に近いものでありそうだ、ということに気づいたのです。
Pick Up Your Head, Throw Away Your Blue's.
The More You Give, Babe, the Less You Lose.
あなたが「憧れるもの」は、どんなものでしょう?それは古来の「憧(あこが)る」に近いものでしょうか、それとも、それとはまた違うようなものでしょうか。
2017-08-03[n年前へ]
■8/5,6 東京ビッグサイト開催 Maker Faire Tokyo 2017 でお待ちしております。
今週末、8月5日と6日、東京ビッグサイトで開催されるMaker Faire Tokyo 2017を散策しに行くことにしました。「踊るアホに観るアホ、同じアホなら踊らな損」だと後押しして頂いたので、「ををつか屋」(A-01-04)に間借りして、スマホ(BLE)制御の特殊三脚撮影システムを展示しようと思います。
もちろん、ここ1年の間に作ったその他特殊機器や機械学習応用のソフト資料も持って行く予定です(多分ね)。…というわけで、そんなアレコレに関する技術系雑談や各種応用相談、あるいは残暑の雑談や来場する方からのご自慢を伺うことなど、そんなことを楽しみしています。