2011-03-14[n年前へ]
■二十世紀の科学的・合理的な文明国民の愛国心
寺田寅彦「天災と国防」から。
人類が進歩するにしたがって、愛国心も大和魂もやはり進化すべきではないかと思う。
砲煙弾雨の中に身命を賭して敵の陣営に突撃するのも、確かに尊い大和魂であるが、(中略)二十世紀の科学的文明国民の愛国心の発露には、もう少しちがった、もう少し合理的なやり方があるべきではないか、と思う。
(昭和九年十一月、経済往来)
2011-04-06[n年前へ]
■「自然の力」と「忘れる力」
- 水平線のムコウ(2001-06-09)
- 「忘れる」という原動力(2005-01-04)
- 「自然の力」と「人間の力」 (2005-09-02)
- 「時に、無神経でいられること」(「十五歳の残像」から) (2009-04-14)
- "15-0”と「15才の君へ」 (2010-03-21)
- 人がただ祈る姿 (2011-03-12)
「ひとつ予想するとしたら、水平線の向こうには「悪いこと」はあるはずがない、と思います。それは、希望かもしれないし、夢かもしれないし、それとも愛かもしれません。何にしても、人が追いかけてきたものが、水平線の向こうにはあるように思います。」
2012-01-04[n年前へ]
■「忘れる」という自然な原動力
7年前の「n年前へ」から。
しかし、その一方で「忘れる」ということは人にとって自然で、何かしら生きて発展していくための原動力であるだろうとも思う。数ヶ月先、あるいは例えば来年に、地震や津波のことなんて忘れ去られ、今回の被害地が同じように人で賑わっているとしたら、それもまたとても自然なのだろうと思う。人が忘れることが「自然」であるならば、人が忘れることにより生じる災害はやはり「人災」でなく「天災」なのかもしれない。だから、「天災は忘れた頃にやって来る」のだ。
「津波と人間」
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