2011-04-06[n年前へ]
■「自然の力」と「忘れる力」
- 水平線のムコウ(2001-06-09)
- 「忘れる」という原動力(2005-01-04)
- 「自然の力」と「人間の力」 (2005-09-02)
- 「時に、無神経でいられること」(「十五歳の残像」から) (2009-04-14)
- "15-0”と「15才の君へ」 (2010-03-21)
- 人がただ祈る姿 (2011-03-12)
「ひとつ予想するとしたら、水平線の向こうには「悪いこと」はあるはずがない、と思います。それは、希望かもしれないし、夢かもしれないし、それとも愛かもしれません。何にしても、人が追いかけてきたものが、水平線の向こうにはあるように思います。」
2011-04-18[n年前へ]
■それでも、わたしたちは生きていきます。
未だ現実に向き合うことを許されぬ
東北の仲間もいます。
それでも、わたしたちは生きていきます。「まずは釜石から」
一緒に悲しむことよりも、
あなたの仕事を一生懸命やってほしい。
それが沿岸を、
岩手を元気にする力になると思うから。
前よりいい町にしてやる。
2011-04-23[n年前へ]
■工学を超えていくために
福島第一原子力発電所の事故のニュースを眺めつづけた。早野龍五先生のツイートによれば、私たちにはSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワーク システム)という虎の子があるようであった。なにやらシミュレータであるらしい。私は発表を待ち望んだ。
待ちながら、私は「工学の限界」について考えあぐねた。蓋を開けてみれば、示されたのは試算だった。工学の限界どころではない。工学は徹底的に負けたのだと、私は悟った。この敗北の責任を、工学は取らなければならない。そしてようやく、私はSPEEDIについて調べはじめた。
工学の敗北を徹底的にならしめるために、私はSPEEDIがこの原子力災害において果たした役割──果たさなかった役割を見つめることにした。手始めに、似たような結果を示すコードを開発し、自由に配布できるようにしようと企てた。SPEEDIは私が片手間に開発できる程度のソフトウェアであり、つまり、お粗末で信じるに足りないことを示したかった。そのようなものを後生大事に抱えこんでいるとしたら、そんな工学は滅べばいいと心底思った。
2016-09-26[n年前へ]
■2001年と2011年、テレビ画面の向こうに観た景色。
アニメ映画「君の名は。」を観た。本当のところ、実際のところは、何も知らないけれど、2011年の日本で強く感じたことを原動力にして作り上げられた、綺麗なジュブナイルに思えた。その「君の名は。」をひいて2011年米国映画「Source Code」を紹介しているコメントをFacebookで読んだ。
「君の名は。」も「Source Code」も…そのどちらも、名前も知らない少なからずの人たちが”あるできごと”に巻き込まれ、それを第三者として眺めた人が”あの時何ができたか・その時何ができるか”を考えたことから始まる物語だと思う。そして、多くの物語がそうであるように、そのストーリーを精一杯辿っていくことを経て、(名前も知らない)他の人たちの物語”がそれぞれ浮かび上がってきて、そして何より自分自身(の物語)を発見していくという…いわゆるひとつの物語の王道だと思う。
2001年の秋、日本では早朝の時間に北米から放映されるTV画面の中で理解しがたく観ていたことや、2011年の春の午後に、日本の東北地方で撮影されるTV画面の向こうから、信じがたくリアルタイムで観た映像や、それをきっかけに人生を大きく変えていった親しかった人たちのことを思い起こすと、少しだけ・ほんの時々だけど、”あの時何ができたか・その時何ができるか”とか考えてしまう。
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