hirax.net::Keywords::「課題」のブログ



2010-03-12[n年前へ]

何が間違いで、何が正しいのでしょう。 

 種ともこ「カナリヤ」から。

あなたはスコップ持って、
夢を掘り出すため、はしごをおりてゆく。
闇が心に満ちる時は
きっと出口は近い。知っているの。

何が間違いで、何が正しいのでしょう。
私にはわからない。ただ、耳をすませる。
時代の空気が毒を産みだす時、
歌を歌って、あなたにすぐ告げる。

 まだ回復、とは言えないけど。底は打った。と思う。
レコーディングももうちょっとしたら再開できると思う。

tomoko tane blog
 時の流れの速さに驚くけれど、もう二十年以上前になる頃に、「考えごとしてた。少しだけしてたんだ」「考えてたことは 少し悲しいこと」で始まる種ともこの「うれしいひとこと」が、とても好きだった。「うれしいひとこと。きみに伝える、回路が、心にある限り、歌うよ」という最後のひとことまでが好きだった。その時、採譜して書いた「うれしいひとこと」のギター譜は、多分今でもノート棚のどこかに残っていると思う。
 制作するためのエネルギーを残すために、しばらくブログ、ツイッター、マイスペ、お休みさせてください。

tomoko tane blog
 その頃通っていたバイト先、長岡京市の駅前にあるレコード屋には、「長岡京のロックスター」というチラシが貼ってあった。そして、バイト仲間の駐車場の前には種ともこの実家があって、時折、「お母さんらしき人」が、家の前の道を箒(ほうき)で掃いていたりした。
考えごとしてた。少しだけしてたんだ。
雨の歩道で、いきなりつまづいた。
 何度、「大丈夫ですか?」「ありがとう。平気です」という歌声を繰り返し聴いたことだろう。最後のひとこと、「うれしいひとこと。きみに伝える、回路が、心にある限り、歌うよ」まで、本当に好きだった。

2010-10-26[n年前へ]

「答え」は一体どんなものだろう!? 

 「ひとつの疑問をべつのかたちの疑問に有効に移し替える作業」という言葉は、村上春樹が「小説とは何か」という疑問に対して「神の子どもたちはみな踊る 」の中で出した答えです。

 いくつかの疑問に対して、その答えが一体どういうものなのだろうかと考えていたときに、とりあえず思いついた答えが「次の手がかり(ポインタ)を何らかの形で与えるもの」というものでした。正しい・正しくない・・・そのどちらにたどり着くのかはわからないけれど、とにかく何かの手がかりがあるということが、少なくとも「答え」に関するとりあえずの必要条件なのではないだろうか、と考えたのです。そして、そんなことを考えながら、先の村上春樹の言葉を思い起こしたのでした。

 その逆を考えてみます。つまり、「次の手がかり(ポインタ)」を提示していない言葉を考えてみれると、たとえば、何らかの提案が含まれていない言葉や、あるいは、単なる堂々巡りの言葉といったものがあるように思います。とりあえずであっても、そういったものは何かに対する「答え」ではないような気がするのです。

 ところで、「小説とは何か」という疑問に対する答えと、「答えとは何か」という疑問に対する答えがとても似ているということは、もしかしたら、もしかしたら、小説とは何らかの答え・・・なのかもしれません。

 Aという小説で私なりにあることができたと思った時に、(その結果)Bという課題が生まれたとします。すると、次にBの課題を入れ込んだ小説を書くというふうに、「読み手に向けて」よりは、「自分の中にある課題を片付けていく」というのが近いですね。

角田光代@児玉清の「あの作家に会いたい」



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