2008-07-24[n年前へ]
■今井功の「当然!」「○」「?」
(「物理の散歩道」などの著作活動をし続けたグループ)ロゲルギストの一人が、流体力学を専門としていた今井功(I2)だ、敬称を略しているのは、そんな敬称が必要ないくらいの人だから、である。「初心者向けに書かれた電磁気学解説文」に対して、その今井功が鉛筆で添削をしたものを見た。
「電磁気学解説文」を読みながら、今井功の鉛筆直筆の書き込みを追いかけた。その直筆コメントを追いかける作業が、本当に面白かった。たとえば、どんな部分に下線が引いてあり、その横に「マル」が付けられているのか、とか、どういった部分にはダメ出しをしているのか…というようなことを推理していくのがとても楽しいのだ。
ちなみに、右の画像は今井功が鉛筆で書いた「当然!」と「○」と「?」である。「当然!」と書いてあるのは、数値的に誘電体に働く力を解析した結果について述べた部分である。その結果が今井功にとって「当然!」なのだろう…と思ったり、「お手軽」とか「大雑把には」という部分に「○」が付けられていることに不思議に納得したり…と、実に面白い体験だった。読んでいくうちに人の姿が浮かび上がってくるような、秀逸なミステリを読んでいる気持になった。
「わからないこと」を無理してわかろうとしない方が良いんだ「わからないこと」というのはたいていどこかおかしい。
今井功
私が見た今井功の鉛筆コメントは、氏が亡くなる2年前、2002年のものだった。家ではホームズやポワロ、ミス・マーブルのテレビが好きだったという今井功は、亡くなる直前まで「トイレットペーパーを一番上手くちぎる方法」や「点滴がどのような機構で制御されているのか」といった身の回りのことへの観察や解析をし続けていた、という。
数値で語れなければ、プロとは言えない。
今井功
2009-07-07[n年前へ]
■自分の「本棚」と「本への書き込み」
自分の「本棚」と「本への書き込み」を、他人に見られるというのはとても恥ずかしいものです。なぜなら、そういったものには、「どんなことに興味を持っていて、どんなことに共感するのか」ということが実に見事に投影されるからです。だから、そんな風に自分を丸見えにしてしまう「本棚」と「本への書き込み」を見られてしまうのは、本当に恥ずかしかったりします。
だからこそ、自分でない人の「本棚」と「本への書き込み」というものは、本当に魅力的で、いつも時間を忘れて眺めてしまいます。どんな本が並んでいるかを眺め、「あぁこういうことに興味を持っていたんだ」と納得し、折られているページや線が引いてある文を見つけると、「あぁ、こういうことに納得したり、憧れたり、あるいは、大事に思っているんだ」と新鮮な驚きを感じたりするのです。
今、私の手元には、「物理の散歩道 」を書き続けたロゲルギストの一人である今井功の蔵書が一冊あります。御子息からお借りている、(霜田光一が今井功に贈った)「簡明 電磁気ハンドブック」です。この本に「も」、多数の書き込みがあります。
書き込みといっても、私がこれまで見たことがある「今井功の書きこみ」は「下線」か「○(時に二重丸)」か「チェックマーク」や「ごく短い言葉」・・・あるいは「?」マークだけです。けれど、私にとって、それは素晴らしく今井功を感じさせるのです。1993年の3月2日火曜日から、今井功がこの本を読み始めていたことが書き込みからわかります。そして、この「電磁気学」を読みながら、どのようなことを「大切だ」と思っていたのか、どのようなことが「解せない」と感じていたのか、それを考えながらこの「簡明 電磁気ハンドブック」を読んでいる時間は、本当に「至福」を感じさせてくれます。
あなたの「本棚」にはどんな本が並んでいますか?あたなたが目を留めた本の頁・文は一体どんなものでしょうか?