2009-10-08[n年前へ]
■使えそうだけれど役に立ちそうにないモノは捨てる…!?
モノがたまってきたので、使いそうにないものは、どんどん捨てています。そんな時、悩むのが「結構使えそうだ」と思い集めたけれど、結局使わなかったもの、しかも、とても役に立ちそうにないモノです。
たとえば、20メートル近く激流が飛ぶ超強力水鉄砲。これは、結構使えそうなのですが、なかなか役に立つシチュエーションがありません。そこで、駐車場でスケートをしている時に、試しにスケボーを載せてくれた親子連れにお礼にあげてしまいました(押しつけたとも言う)。
あるいは、たとえば、こんなスヌーピーのハンドベル食玩。PICでも使って、このハンドベルで自動演奏器(ハンドベル・オルゴール)を作ろうと考え、ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シと集めたのですが、このハンドベルが実にホンキートンクな音程がズレかたをしていたり、工作作業がなかなかできなかったりして、今では単なるゴミと化しています。
あるいは、イチローのバッティング食玩なども、そのひとつです。これは、回転する円の上にイチロー群を貼り付けて、回転速度に合わせてストロボを光らせれば、何人ものイチローが素振りをする…という「リアル立体アニメーション・アート」を作ることができる、と考えたわけです。しかし、これも、そんな趣味の工作をする時間がないままに、ガラクタ箱の中に放り込まれています。
そんな、使えそうだけれど役に立ちそうにない小道具がたくさんあります。「少年探偵セット」「不思議な手品カードセット」「日光写真カメラキット」「いつの間にか回転方向が逆になる謎の石」「コウモリの声が聞けるバッド・ディテクター」
そんなガラクタ箱の中を見るたびに、さてさてどうしたものか・・・と悩みます。使えそうだけれど役に立ちそうにないモノを捨てるか、捨てないか…それが目下の問題です。
2009-12-21[n年前へ]
■NEWS今昔物語 「野球盤とロボットと王子さま」編 (初出2005年05月26日)
5年前のNEWS(未来)を振り返ってみて思うこと
「(お客が自分たちで使う)料理注文用のリモコン」は使いこなせるようになった。5年過ぎて、それだけは(もしかしたら唯一の)学んだことだと言えるかもしれない。
(記事を書いた時の)ひとこと
先日、久しぶりに神戸・大阪に滞在した。夜の居酒屋で見かけた「(お客が自分たちで使う)料理注文用のリモコン」にビックリしたが、難しくて(私には)使えなかった。
「ジャンケンに必ず勝つロボット」と「イチローを超えるロボット」
カメラで撮影した「高速モーションキャプチャ情報」を利用し、「人間の行動結果を(人間の行動が終了する前に)解析し、それに対するリアクションを(前もって)起こす」ことにより「ジャンケンに必ず勝つロボット」がネット上で評判となっている。広島大学のロボティクス研究室が開発したこのジャンケン・ロボットが、人間がとャンケン対決をしている動画を見ると、淡々とロボットが人間に勝ち続けている。なんというか、究極の「後出し」原理を具現化したロボットである。
また、同じような原理で動く「高速バッティング・ロボット」もこれまた面白い。打球の飛球角度を角度で10度以内で打ち分けることができる、という。世界が誇る「イチロー」もビックリのロボット打者が登場するかもしれない。
「アクション・フィギュア搭載の野球盤DX」新発売
エポック社の野球盤といえば、30代半ば以上の男性を最も楽しませた玩具のひとつだと思う。'58年に(初代)野球版が登場してから、各世代の(かつて男の子だった)男性たちはそれぞれの時代の野球盤で楽んできた。磁力を使った「カーブ・シュート変化球」、脅威のトリックによる「消える魔球」など、技術とアイデアを駆使した玩具に惹かれた人は多いはずである。
そして、また今年も「野球盤初の選手人形が実際に投げ・打つ動作をするアクション・フィギュア・システム搭載の野球盤DXが6月18日に発売される。実際に選手人形が動くことで試合の臨場感が増している、という。こどもをだしにして、(けれど本堂は自分が欲しくて)買ってしまうお父さんが量産されるかもしれない。
Google Mapsの中にいる「白馬に乗った王子さま(かも?)」
5月23日、BoonEx Group と AEwebworks Dating Software Developmentが、Google Maps を使った出会い系サービス4ppl Personals + Google Mapsをスタートさせた。このサービスを使えば、「住んでいる場所」や「相手の年齢」や「性別」などを入力すれば、その要望に合致する相手を自由自在に地図上で見つけ出すことができる。人工衛星からの撮影写真やカラフルな地図の中に、望みどおり(かもしれない)相手が点在しているようすは、かなりインパクトがある。
これまでもGoogleによる、タクシーやリムジン、シャトルなどの乗物の現在地を検索できるサービスGoogle Ride Finderといった地表を動きまわるものを見つけ出すサービスなどがあったが、タクシーならともかく、「人との出会い」の場合、「ブラウザの画面の地図中から見つけ出す」だけじゃ味気ないかもしれない。2011-03-04[n年前へ]
■ひとつの”ものさし”で計らない
何年も前、日曜朝のテレビ番組中で野村克也がイチローのプレースタイルを指して「野球をする上で大切なチームプレイをしていない」と苦言を呈していました。「一番打者で出塁率が重要なのに、四球を選ばず一球目からボールを打ちにいったりするのは”勝ち”に繋がらない」というわけです。他の言葉も言っていたのだろうと思いますが、その瞬間にはそんな言葉がクローズアップされているように感じました。その言葉を聞いた頃、ちょうど「メジャーリーグの数理科学」を読んでいて、出塁率の評価をどのようにするかとか、一塁打者の出塁率がチームの勝率に対してどのような寄与をするかを考えていたこともあって、野村克也の言葉に「なるほどなぁ」と納得したのです。
しかし、それと同時に、こんな言葉にも納得してしまうのです。それはたとえば、「「トップアスリート」名語録 」中にあるような一節です。
…伝説のホームランバッター、ベーブルースも、記者に「バットを短く持ってレフトへ流し打ちをすれば四割打てるのに」と言われ、「私がレフトへ二塁打を三本飛ばすより、ライトへホームランを一本打つのをファンは見たがっている」と答えている。イチローも「打率を上げるには四球を選ぶ方がいい」と言われながら、四球より一本でも多くのヒットを打つことにこだわっている。
プロにはファンが自分に何を期待しているかを知り、それに答える義務がある。
プロスポーツでも、あるいはその他のものごとであっても、「ひとつのものさし」だけでは計ることができないことの方が多いのではないか、と思います。試合の”勝ち”というものさしもあれば、興行としての”ものさし”もあることでしょう。その他にもたくさんの”ものさし”があるに違いない、と思います。
けれど、時に、ひとつの”ものさし”を何かに当てはめてしまいそうになることがあります。そんなことをしてしまいそうになることもあれば、そんなことをしてしまったこともあります。
たくさんの”ものさし”を筆箱に入れ、あらゆるものをひとつの”ものさし”だけで計らないようにするには、一体どうしたらいいのでしょうか。
2014-01-01[n年前へ]
■「変わらない」ための「努力」
イチローが語る「努力」という定義(の変化)を読みました。かつては「自然に当たり前にしていたこと」だけど、それを「意識的にしなければならなくて、それをしなければ、自分が自分でなくなってしまうこと」それこそが努力というものだという定義が、とても確かなものに感じました。
第三者が見ていると努力に見えるが本人にとっては全くそうでない、という状態になくてはならないのではないか。
2013年「春」
試合前にするストレッチだったり、いろんな準備がありますよね。それを、なんとなくこう、やりたくない瞬間が現れるんですよ。でも、それをすると、僕を支えてきた僕が崩壊してしまう。と、想像したので。そこだけは続けたということですよね。…これが、努力なんじゃないかなと思いますね。
2013年「冬」
「(年齢の上下は全く関係無く)すごいなと思う尊敬する人はたくさんいて、けれど十年近く経った頃、…そんな人たちの何割か「あぁ、つまんない人に変わっちゃったな」と思うことがあります。もしかしたら、それはイチロー言うところの「努力」をしたか・しなかったか…ということが分水嶺になっていたのかもしれない…と考えます。
若い人は(たいがい)輝いてる。七転八倒で、七転び八起きで…何というか、下っ端ーずでも何であっても、主体的で・可能性に満ちてる(…十年くらい後に「つまんない人に変わっちゃったな」と思うこともあるけど)。何はともあれ、可能性に乾杯だ!
「大事なこと」や「可能性」に乾杯だ!
もう十年近く前、「変わらないということは、変わるということ」という言葉にひどく印象づけられました。あの言葉は、とても非情で正確な言葉だったのだろうとも思いますし、それと同時に「変わり続けていると、その中に変わらないものが見えてくるのかもしれない」とも思います(参考:続「変わらないということは、変わるということ」)。
「変わらない」でいるためには、「変わらない努力」が必要だ。「変わらない努力」というのは、結局のところ「変わる努力」だ。その人自身や状況といったものが変化している限りは、自分も変化していかないと、取り残されてしまう…という冷徹な言葉だ。
2014年の01月01日、今年最初の日記は『変わらないための努力』です。