2009-09-21[n年前へ]
■教育費と茄子の花は千に一つも徒はない
スラッシュドットでのコメントから知った、西原理恵子の言葉(毎日新聞の元記事)。
西原理恵子の言葉だけをひきたいところだけれども、文脈背景の紹介上、林真理子の言葉も引用する。
林真理子> 独身のお金持ちの友人が電話してきて「私たちが払った税金をヤンキー(不良)の子に使われるのは嫌だ。民主党は何を考えているのか」と言っていた。
西原理恵子> 子どもが大きくなって年金を払い、高齢者を養うんですよ。ヤンキーが将来刑務所に行けば、もっとお金がかかる。人を人とするためには教育と職業が必要。それは国家が何よりも先にやらなければならないこと。議員の給料払うなら、ヤンキーの教育費に使え。
教育・職業といったことは、西原理恵子のマンガ中で語られるリフレインのひとつだ。たとえば、「営業ものがたり 」なら「うつくしい のはら」あるいは、「朝日のあたる家」といったマンガ中に、繰り返し登場する。あるいは、対談でも時折口にする。
私はまいにち字をならいに行く。
字をおぼえましょう。
字がよめたら 世の中がわかる。
商売ができる。ごはんが買える。
「うつくしい のはら」冒頭
「親の意見と茄子の花は千に一つも徒はない」ということわざがあるが、教育費もそういうものかもしれない。…うーん、そんなこともないか。
教育とは、学校で習ったことをすべて忘れた後に残っているものである。
アルベルト・アインシュタイン
2011-09-30[n年前へ]
■「飛んでみろや」とカツアゲするヤンキーは本当に小銭が欲しいのか!?
他の人からお金を取り上げることを「カツアゲ」と言います。「カツアゲ」の鉄板イメージと言えば、次のような台詞です。
「オラ、金出せや」
「えぇ、お金なんて全然ありません〜」
「その場で飛んでみろや」
(チャリ・チャリ〜ン)
「あるやんけ!」
「飛んでみろや」とカツアゲするヤンキーは小銭が欲しいのでしょうか?…その疑問を言い換えると、上の会話はこの後どのように進んでいくのでしょう。少し妄想してみると、こんな具合でしょうか。
「あるやんけ!」
「この十円玉6枚と5円玉1枚のことですかぁ〜」
「そや、六十五円もあるやんけ」
…少しおかしい状況です。こんな風に、小さなことからコツコツと、小銭を集め廻るカツアゲ・ヤンキーがいるとも思えません。
だとすると、こんな具合でしょうか。
「この十円玉6枚と5円玉1枚のことですかぁ〜」…これはこれで、「なぜ、それなら”その場で飛ばせてみたのか”という疑問が沸いてきて、どうも矛盾するような気がします。
「ちゃうわ!そんな小銭いらへんわ!」
…
カツアゲするとき・カツアゲされるときの「飛んでみろ」という定番台詞は、(ありがちな定番都市伝説でなかったとしたならば)一体何を意図したものなのでしょう。「飛んでみろや」とカツアゲするヤンキーは本当に小銭が欲しいのでしょうか!? ...*
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