2009-09-21[n年前へ]
■教育費と茄子の花は千に一つも徒はない
スラッシュドットでのコメントから知った、西原理恵子の言葉(毎日新聞の元記事)。
西原理恵子の言葉だけをひきたいところだけれども、文脈背景の紹介上、林真理子の言葉も引用する。
林真理子> 独身のお金持ちの友人が電話してきて「私たちが払った税金をヤンキー(不良)の子に使われるのは嫌だ。民主党は何を考えているのか」と言っていた。
西原理恵子> 子どもが大きくなって年金を払い、高齢者を養うんですよ。ヤンキーが将来刑務所に行けば、もっとお金がかかる。人を人とするためには教育と職業が必要。それは国家が何よりも先にやらなければならないこと。議員の給料払うなら、ヤンキーの教育費に使え。
教育・職業といったことは、西原理恵子のマンガ中で語られるリフレインのひとつだ。たとえば、「営業ものがたり 」なら「うつくしい のはら」あるいは、「朝日のあたる家」といったマンガ中に、繰り返し登場する。あるいは、対談でも時折口にする。
私はまいにち字をならいに行く。
字をおぼえましょう。
字がよめたら 世の中がわかる。
商売ができる。ごはんが買える。
「うつくしい のはら」冒頭
「親の意見と茄子の花は千に一つも徒はない」ということわざがあるが、教育費もそういうものかもしれない。…うーん、そんなこともないか。
教育とは、学校で習ったことをすべて忘れた後に残っているものである。
アルベルト・アインシュタイン
2010-02-17[n年前へ]
■諺(ことわざ)・名言が響かす心地よいリズム
諺(ことわざ)・名言には心地良いリズムがあり、そして、何度繰り返し聞いてみても辿りつくことのできない奥深さがある。
Easy to say, hard to do. Saying and doint are two things.金言とそ実例が繰り返されるような、そんな文の連なりを読んでいると、魅力ある山道を歩き・景色を眺めているような気分になる。
言うは易く、行うは難し。「案じるより団子汁」「好きこそ物(もの)の上手なれ」「古きを温(たず)ねて、新しきを知る」…七五のリズムが心地良く体と頭の中に強く響いてくる。
規則正しく、しかし同時に緩急も備えた文章は、究極かつ至高のショートショート集なのかもしれない。
(ギリシア哲学のターレスに、ある青年が聞いた)「では、いちばん易しいことは?」彼は片目をつぶってニヤリ一言。「他人に忠告することだよ」
2010-11-05[n年前へ]
■"No rain, no rainbow"
「虹の国」と言われるハワイには、"No rain, no rainbow"という意味のことわざがあるといいます。この言葉の中の"rain"と"rainbow"は、ある意味では、反対の意味を指しています。また、ある意味では、コインと裏表の分離することができないひとつの真実を指し示しています。
ところで・・・それにしても、ひどく単純なアルゴリズムであっても、その機械が教えてくれる「この記事の関連お勧め記事」に、何だか少し考えさせられます。
Entertainer Dolly parton once said that if you want the rainbow, you have to put up with the rain.Rainbows are beautiful, but Dolly is right.It takes both rain and sunshine to create one. It's the same with life. In most lives there are dark and bright sports; there's joy and sorrow.
The few people who have never known adversity invariably don't have lives that are as rich and satisfying as those who have. If you can handle it, adversity makes you stronger. It also makes you a kinder and more empathetic person. At the end of a life without adversity, it's hard to find a raibow. We can't control the tragic things that happen to us, but we can control the way we face up to them.
2012-12-28[n年前へ]
■ゼクシィが「彼 v.s. お父さん 対決」はできても「彼女 v.s.お母さん 対決」はできない理由
結婚情報誌 ゼクシィの「重さ」=(イコール)「愛の重さ」だという方程式があると聞きます。そんなゼクシィの最新号「年に一度のスペシャル号!」は付録合わせて2500ページで体重計に載せるとトータル5.2kgでした。一冊5kg超ということは、たとえば2冊抱えたら自転車1台と同じくらいの重さになるということですから、「愛の重さ」は、なかなかの重いようです。
そのゼクシィ最新号の「新郎(になるだろう彼)と新婦(になるだろうゼクシィ読者)の父」が「新婦への愛がどちらが多いか」を(勝手に)競い合わせる記事を読み、「彼女のお父さん」って切ないな…と思わされました。父の娘への愛は、絶対に彼より勝っているはずにも関わらず、その勝負とは別に娘は彼を選んでいくわけです。
そしてまた、こんなことも考えました。彼・彼女に対して父と母がそれぞれいるのに対し、この記事が扱っているのは「彼と(彼女の父)」だけです。似たようなパターンとして「彼女と(彼の)母」というものもあるけれどそのパターンはなぜないんだろう?と疑問に思ったのです。
そこで尋ねて・得た「答え」はナルホド!と思わされるものでした。
「彼女と(彼の)母の対決だと嫁・姑問題になってしまい、結婚しようとする読者に向けた記事とは、少し違うものになってしまうんです」
確かに、嫁・姑問題ではゼクシィというより週刊女性とか女性自身とか、そういった雑誌の表紙に踊るような問題になってしまいそうで、ゼクシィ読者の結婚に対する意欲(さらにはゼクシィを買おうとする購買意欲)を減退させてしまいそうです。
ところで新婦(しんぷ)を「新夫」と間違えていたという人も少なからずいると言いますが、それと同じように「婿」という文字も意外に読みと意味に悩んでしまうものです。「女」という文字が入っているので、「よめ」と読みたくもなってしまうのです。
そんな悩みを減らすため、「婿・嫁・姑・舅・小姑・小舅」といった言葉について、意味やそれらのキャラクタたちの関係を図示し、さらにや関係する「ことわざ」も書き入れてみました。
「姑の十七見た者ない(私が若かった時はちゃんとやってたよ!と姑は言うけれど…)」「小姑一人は鬼千匹にむかう(小姑は1人いるだけで鬼が千匹いるようなもの…)」「舅の酒で相婿もてなす(妻の父のものでチャッカリ…)」…こうして関連ことわざを眺めてみると、やはり「彼女のお父さん」が一番可愛そうに思えてきますね。