2005-01-17[n年前へ]
■Laugh and grow fat.
WEB日記は「ちょっと書いて、書き換えて、さらに書き換えて」いくことが多いものだと思っていので、何度も「書いたり消したり」しながら、自分が良いとその日に考えているものを残していこうと思っている(かも)。「こちらの方が良い」と思い、(前に書いた)イマイチな文章を削除することもしばしばあるし、「自分が良いと思う言葉」を書き足すことも数え切れないほどある。さすがに、何日も遡って直すことはないけれど、そういう推敲を人に見えるところでしているのがWEB日記の特徴だと思う。逆に、そうしなければ多くの場合長くは続かないのではないか、とも思っている。あまり、気負っていては続かないのかも、なんていう風に思うこともある。また、もし続いたものであれば、それを止めたりするのは何だかとてももったいない、というようにも思う。
ところで、今日は ある言葉を見て考え込みつつも、ふと笑ってしまった。
「WEB日記の言葉削除依頼」というエントリーが。なんとなく気になったので、どんな言葉が削除依頼を受けたのだろう?とリンク先に行ってみたら・・・・削除依頼を受けてたのは僕の文章でした_|‾|○何だか、これはとても真剣な話で、笑っちゃいけないのかもしれないけれど…、上の一行を読んだ瞬間、崩れ倒れる人 _|‾|○ を見た瞬間にはなんだかちょっとだけ笑ってしまったのだった。
2007-12-01[n年前へ]
■直筆で読む「坊っちゃん」
直筆で読む「坊っちゃん」(集英社新書ヴィジュアル版)を読んだ。読んだと言っても、読んだと言えるのは、秋山豊氏による解説文と夏目房之介による書字の特徴を解説した文章だけで、夏目漱石の直筆文章の方は「書き直したり・消したり箇所」を眺めただけだ。
夏目漱石が書こうと意図した言葉と印刷された文字の違いを解説する秋山豊氏による文章は面白かった。たとえば、 坊っちゃんの「山嵐はそうさアハハハと笑ったが、あとから真面目(まじめ)になって、君あまり学校の不平を云うと」の真面目(まじめ)が真顔(まがお)だろうということに頷いたり、「それからかなりゆるりと、出たりはいったりして、ようやく日暮方(ひぐれがた)になったから」の「かなり(可成)」が実は「なるべく(可成)」なのだな、と納得したりした。
[書き直し前]だから清の墓は小石川の養源寺にある。
[書き直し後]だから清の墓は小日向の養源寺にある。
直筆の文章は、私は、スムースには読めない。けれど、どんな言葉に朱を入れたかということを眺めると、その一つ一つがとても面白い。Typoを修正していたり、地名を変えていたり、語勢を整えていたり、そんな漱石の息づかいを感じることができるのは、素晴らしく新鮮だ。