hirax.net::Keywords::「教養」のブログ



2009-11-06[n年前へ]

メルヘンというものが物語っているもの 

 「教養の役割」という問題を考える時、ノーマ・フィールドが「教養の再生のために―危機の時代の想像力 」において、話した言葉。

 (ドイツのジャーナリストで映画評論家であったジークフリート・クラクカウアーは)御伽話(おとぎばなし)、つまりメルヘンについてとても印象的なことを言っています。メルヘンとは奇跡を描いているのではなく、正義の奇跡的到来を物語っているのだ、と。

2009-11-09[n年前へ]

罵倒的・批判的・懐疑的気分を抱きつつ上昇欲や絶望を飼いならす 

 高田里惠子「グロテスクな教養 (ちくま新書(539))」から。

 斎藤美奈子は現在でも女性誌で得々と生き方やら恋愛やらを語るセレブたちを見ると、「正直、ケッってな気分にならないでもないけれど、情報自体は女性誌ならではのものもあって結構役に立つ」と言っているが、女性誌読者というのはたいてい、半分はそのように罵倒的・批判的・懐疑的気分を抱きつつ、半分は自分の上昇欲や絶望を飼いならしているのだろうと想像できる。

2009-11-17[n年前へ]

「分かっていない」ことを「分かる」 

 仲正昌樹「知識だけあるバカになるな! 」から。

 勉強すればするほど、知的に謙虚になり、自分のことを反省的に振り替えることができるようになれる人ばかりであれば、何の問題もありません。自分の知的限界が本当に分かっていれば、次にどうすべきか自ずから分かってくるはずです。そういう人が「教養のある人」だと思います。
 ほとんどの人はその逆です。勉強して知識が増すほど、横着で傲慢になっていきます。横着で傲慢になると、自分の無知や考え違いを素直に認めることができません。
 本を読んで賢くなったような気がするとき、何冊かの本を読んでそれらの孫引きのような文章を書いてしまっている時(あぁ、今がまさにそうだ)、この言葉を繰り返し思い返さなければ、と思わされる。

 特に今の時代には、この本を定期的に繰り返し読みなおしたい。

2009-12-27[n年前へ]

本当に身につけるためには、自分でいっぱい問題を解き、ソフトを組み、とにかく手を動かすこと。  

 山形浩生「訳者解説 -新教養主義宣言リターンズ- (木星叢書) 」から。

 道を知ることと、その道を実際に歩くこととはちがうのである。本当に身につけるためには、自分でいっぱい問題を解き、ソフトを組み、とにかく手を動かすこと。



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