2013-07-11[n年前へ]
■「時代は自ら前に進めるものだと信じよう」
2013年07月12日、たぶん±3歳くらいの同世代、「陰気な男でいいですか?」の日記にしびれました。
”オレの軌跡はどんなだろう。他人が見てもワクワクするものを作り、自分がワクワク出来るよう精進しよう。時代は自ら前に進めるものだと信じよう”
「勢い」というものは多分とても大事なことで、何かひとつの視点から見た景色を感じとり・的確に言葉として描き出すことができた時、その文章には「確かなリズム」が必ず伴うような気がします。それは、たとえば、 「知らないことは知らないと言おう。」の太宰治の「正義と微笑」のようなリズムです。
ぼくは、きょうから日記をつける。この頃の自分の一日一日が、なんだか、とても重大なもののような気がしてきたからである。人間は、十六歳と二十歳までの間にその人格が作られる、ルソーだか誰だか言っていたそうだが、あるいは、そんなものかもしれない。
…これからは、単純に、正直に行動しよう。知らないことは、知らないと言おう。できないことは、できないと言おう。思わせ振りを捨てたなら、人生は、意外にも平坦なところらしい。岩の上に、小さい家を築こう。
僕は、来年、十八歳。
2013年07月12日の「陰気な男でいいですか?」、「オレが行かずに誰が行く。オレが読まずに誰が読む。オレの軌跡はどんな感じなんだろう」というリズムを、1980年代に青春を過ごした人が2010年代の今この瞬間に読んだなら、きっと(そこに)書かれていることと同じような心地になるに違いありません。
それぞれのコーナで紹介されている内容に偏りが感じられるが、それが筆者のマイコン人生の軌跡や時期を表していると思うとグッとくる。同じ日本でマイコンに全てを注いでいてもイロイロなルートがあったんだな。オレの軌跡はどんな感じなんだろう。
それはそれとして、当時のワクワク感を思い出して改めて感じる。他人が見てもワクワクするようなものを作って自分がワクワク出来るよう精進しよう。時代は自ら前に進めるものだと信じよう。明日も楽しく前向きに。
2014-03-10[n年前へ]
■絶好調の時も不調の時も…人生は、意外にも平坦な所らしい。
”絶好調の時も不調の時も同じように…”という言葉を読んで、太宰治「正義と微笑 」の一節を連想する。
夜、ヘレン・ケラー女史のラジオ放送を聞いた。梶に聞かせてやりたかった。…努力によって、口もきけるようになったし、秘書の言う事を聞きとれるようにもなったし、著述もできるようになって、ついには博士号を獲得したのだ。僕たちは、この婦人に無限の尊敬を払うのが本当であろう。
真面目に努力していくだけだ。これからは、単純に、正直に行動しよう。知らないことは、知らないと言おう。できないことは、できないと言おう。思わせ振りを捨てたならば、人生は、意外にも平坦な所らしい。
これから歩む道のりが、
花が咲き香る長閑(のどか)になれ、
とは願わない。
足か弱く、険しい山路は登り難くとも、
楽しき調べを、絶えず麓で歌うなら、
聴き勇気づけられる人も、いるやもしれない。
言葉のリズムや、可能性というか未来に向かう明るさが溢れる太宰治「正義と微笑 」は、万城目学あたりに、現代仮名遣いにして欲しい。
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