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2000-02-24[n年前へ]

「モナリザ」の自己相似形  share on Tumblr 

48x48の「世界への微笑」

 以前、

で、
 ASCII文字で描かれたモナリザを初めて見たのは、まだ大型コンピューターしかなかった頃だ。当時、記憶媒体の紙テープをパンチした紙くずと、ラインプリンタから出力されたASCIIアートで遊んでいた。
と書いた。

 私がモナリザを見たのはこのASCIIアートのモナリザが初めてだった。何故か住宅の天井裏にASCIIアートをモチーフにしたカレンダーが貼られていた。天井裏に貼られたモナリザはとても趣があった、と思う。
 そういうわけで、初めて見たモナリザは、カラーではなくて白黒の、しかもASCIIアートのモナリザだったのである。

 もちろん、そのモナリザはもうどこにもいない。そこで、

の時にバージョンのIMAGE2ASCIIでモナリザをASCIIアートに変換したのが下の画像だ。
 
モナリザのASCIIアート

 こんなに縮小してしまうと、ASCIIアートに見えない。そこで、顔(特に目)の辺りの部分の拡大図を下に示してみる。
 

モナリザのASCIIアートの顔(特に目)の辺りの部分の拡大図

 こうしてみると、ASCII文字であることはわかる。しかし、全体像は全く見えなくなる。「これが、モナリザの目の辺りだ」と言っても全く信用されないことだろう。

 こういう画像を考えるときは、全体像と拡大図の両方を感じなければいけない。拡大図しか感じられないと、「木を見て森を見ない」状態になる。そして、全体像しか見ない場合には「実際の所をなにも知らない」状態になる。

 さて話を戻す。私が眺めていたASCIIアートをのモナリザを初めとして、モナリザほど「本歌取り」の「本歌」に使われているものもない。「モナリザの微笑」からは、沢山の人が色々なものを引き出してきた。「モナリザ」の微笑はどうにも奥深く見えるから不思議である。その微笑の先に何があるのかを深く考えさせる。その答えはなかなか見つけられない。
 そういうわけで、東京都美術館で開催されていた「モナリザ100の微笑」を先日見に行ってきた。

 特に、私が見たかったのはこれである。福田繁雄の「世界への微笑」だ。
 

福田繁雄 「世界への微笑」

 もう、おわかりだと思うが、これは切手によるコラージュである。このモナリザの顔(特に目)の辺りの部分の拡大図を次に示してみる。
 

「世界への微笑」のモナリザの顔(特に目)の辺りの部分の拡大図

 拡大すると、全体像が全く判らなくなるというところは、ASCIIアートと全く同じである。こういった、離れてみると、やっと何が描かれているかわかる、という画像はとても面白い。

 そこで、今回はそういう画像を作成してみたい。つまり、「小さな画像の集合が集まって一つの画像になる」ようなものだ。

 それに加えて、先ほど

「モナリザ」の微笑はどうにも奥深く見えるから不思議である。
と書いた。「モナリザの微笑」を眺め考えると、その先には結局「モナリザ」しか見えてこない。答えが見えないのである
 まるで、それはタマネギのようで、自己相似形という言葉さえ思い起こさせる。

 そういうわけで、小さな「モナリザ」が集まって一つの「モナリザ」となるような画像を作成してみることにした。逆に言えば- 「モナリザ」を見つめていくと、その先にさらに小さな「モナリザ」が見えてくる- という画像である。

 そういう画像を作るために、簡単なアプリケーションを作成してみた。それが、これである。

名前はjoconde.exeだ。画像を読み込み、その画像をその画像自身の縮小画像(48x48個)で表現するのである。福田繁雄は切手や国旗で「モナリザ」を表現した。私は48x48個の「モナリザ」で、さらなる「モナリザ」を表現するのである。
 いつものごとく、色々な画像のフォーマット対応のためにはSusieプラグインを必要とする。もちろん、言うまでもないと思うが信用度はアルファ版以下である。

 さて、作成した画像 - 題して、48x48の「モナリザ」 -を次に示そう。「モナリザ」の微笑は「モナリザ」でしか表現し得ない、という私の気持ちの表れである。この画像をクリックすれば、元のサイズの- 48x48の「モナリザ」 - を見ることができる。
 

jun hirabayashi 作 48x48の「モナリザ」

 この画像では、48x48個の「モナリザ」でできていることはわかりづらい。そこで、上の画像のモナリザの目の辺りを拡大したものが以下である。
 

jun hirabayashi 作 48x48の「モナリザ」 部分

 この - 48x48の「モナリザ」 - を眺めていると、「モナリザ」の微笑について色々と考えてしまう。どこが、一体魅力となっているのだろうか? いくら考えてみても、よくわからない。

 さて、モナリザと言うと、夏目漱石と「モナリサ」にも言及しなければならないだろう。しかし、それは次回のココロだ。
 

2000-05-27[n年前へ]

ささやかだけれど、役にたつこと  share on Tumblr 

メール紹介の小ネタ集

 
 

  「できるかな?」の話題に関して色々と面白いメールを頂くことがある。その中には、私の知らない色々な面白いことが書いてあるものも多い。今回はそういったものの一部から小ネタ集(探偵ナイトスクープの桂小枝風)をやってみたい。メールは多少こちらで書き換えている部分もあるが、基本的には頂いたそのままである。

 まずは、

の時のように計算間違いをしたりすると、さまざまな正解がメールで送られてくる。非常にありがたいことである。簡潔に間違いの個所を指摘してあるメールもあれば、私と同じように迷路にはまり込んでしまった答えが書いてあるメールもある。どちらにしても、私にはとても面白く、ありがたいものである。

 例えば、最近で言うとこんな面白い「間違い指摘メール」を頂いた。
 

k氏からのメール
 早速ではありますがにて
どんぐりころころ、どんぐりこ
と記述されておりますが「どんぐりこ」ではなくて「どんぶりこ」が正しい歌詞だと記憶しております。真偽を確認の後、然るべき行動を取られることを切に願います。

 「えっ」、と一瞬思うが、口ずさんで、後の歌詞のつながりを考えてみると、確かにそうかもしれない。どんぐりがお池にはまるなら、確かに「どんぶりこ」の方が自然である。桃太郎の桃が「どんぶりこ」と川を流れてきたように、どんぐりも「どんぶりこ」となるのが自然である。

 そこで、WEB上で情報を探してみると、

に歌詞が載っている。確かに、「どんぐりころころ どんぶりこ」となっている。この後、身の回りの20人以上に聞いてみたが、「どんぐりころころ」の歌詞を正しく歌った人は一人もいなかった。メールを頂いたときには恥ずかしくて顔から火が出そうになったが、私だけではないようなので、恥ずかしさは新鮮な驚きに変わった。きっと、これを読んでいる人の中でもかなりの人が勘違いをしているのに違いない(そう思いたい)。

 そして、同じ「どんぐりころころ」ネタと言えば、こんなものもある。
 

O氏からのメール
にて、 - 「どんぐりころころ」と水戸黄門の主題歌の輪唱 - というものを書かれておりましたが、「赤とんぼ」と水戸黄門の主題歌(あぁ、人生に涙あり)も輪唱可能 です。

 他に思いついたのが、

おたまじゃくしは、カエルの子。ナマズの孫ではないわいなぁ。
も、「あぁ人生に涙あり」の節でいけそうです。

 どうも、山田耕作系の曲は合うようですね。以前、「山田耕作の曲は日本語の音韻律に合わせてある。」という話を聞きましたがこれが関係しているのでしょうか?

 他に、昔TVで見たものですが、

  • 「帰ってこいよぉ?」の節で、「帰ってきたウルトラマン」が歌えます。
  • 「ゲゲゲの鬼太郎OP」の節で、「おさるのかごや」が歌えます。

 私には水戸黄門の主題歌の題名が「あぁ人生に涙あり」であると知れただけでも、うれしくてたまらない。いいタイトルだ。日本人の心にグッとくるタイトルである。

 そして、その後の

  • 山田耕作系の曲と「あぁ人生に涙あり」のカノンについての関係性
などいつか必ずネタにしたいと考えているくらいである。その答えには、きっと不思議なおもむきと科学とバカバカしさが同居しているに違いない。それこそ、「できるかな?」が追い求めている理想の姿である。
 と、思いつつなかなか手をつけられないでいるので、今回ここに紹介してみた。もちろん、いつか挑戦しようという気持ちは変わっていない。いつか、必ず登場させるだろう。

 そして、同じ「モナ・リザ」つながりでは、こういう面白い話を教えてくれるメールもある。
 

R氏からのメール
の福田繁雄氏とモナリザの微笑みで思い出したのですが、トーストの焦げ目で描いた作品を見た記憶があります(これが福田氏の作品だったかどうかあいまいなのですが)。この時の作品は、焼け具合の違うトーストを並べてありましたが、展示が終わった後はどうしてしまったのでしょうか。

 インドあたりでやってる砂で描いたマンダラに通じるものがあると思いました。(その場限りのものという意味で…)

 このメールを読んでから、「モナリザ」の自己相似形ソフト 料理材料編 に必ず挑戦したいと考えているのである。そのために写真満載の料理ブックも購入してしまった程である。

 他にも色々な知識と言えば、こんな情報もとても勉強になった。
 

K氏からのメール
で、
 ところで、ドレミファソラシドの語源はどこにあるのだろう?SoundOfMusicがdoeの歌のイメージから"doa dear ..."と鼻歌を歌うことはあるが、語源は一体?次の宿題にしたいと思う。
とありますが、これはなんと、ドレミ....も歌からとられたもので、<聖ヨハネ賛歌>という歌の歌詞から引用したものだそうです。聖ヨハネ賛歌は当時使われていた、6音音階の各音を正しく理解、視唱させるために各行の開始音が6音音階の各音になっていた曲です。
 つまり、聖ヨハネ賛歌の各行のはじめの歌詞が、Ut,Re,Mi,Fa,Sol,Laだったので
す。

 Do Re Mi、は、もとはフランス語のUt Re Mi Fa Sol La Si Utでしたが、16世紀になってイタリアで呼びにくいUtが現在のDoに変わったのでした。

 こういう言葉が変化していく様子というのは私のとても興味のあるところである。そういう話、「蝸牛考」、あるいは探偵ナイトスクープの「アホとバカの境界線」のような面白い話があったら、ぜひ私まで教えてもらえるとうれしい限りである。

 さて、最後にこんなメールをご紹介したい。これは、さまざまな色空間の多様性について書いたものについて頂いた意見の一部である。
 

B氏からのメール
 複数種類の蛍光色素を用いて動物組織を染色し顕微鏡観察した画像をコンピュータで解析する技術が一般的になっています。ここで使われている疑似カラーが緑と赤ですが、私は緑と紫にしました。2色が重なるところは白くなります。通常使用される疑似カラーで赤を暗く感じることも問題ですが、もっと問題なのは、赤と緑の重なったところを黄色に表示した場合、緑と黄色が区別できないのです。

 自分が赤の変わりに紫を使って、緑と紫、重なったことろが白としたのは、これであれば健常者の人でも赤緑色盲の人でも余容易に区別がつくと思ったからです。色盲の人は日本で5%ですがアメリカではその倍以上います。学会の会場や雑誌の読者の中にこのプレゼンテーションが理解できない人が10ー20%いたら、発表している人にも損が生じます。

 この考えには私もずいぶんと影響を受けた。そのせいで

つくった自作ソフトの色はその方式に合わせたし、では他のソフトの画面をWEB上では色調変換して表示している。
 
赤-緑の色調を使わないようにした画像例

 こういう「ささやか」なやり方ではあるが、私は緑-紫の疑似カラーの布教活動に勤めているのである。

 今回は五通のメールを紹介してみた。その他にもたくさんの「面白いメール」を頂いている。別に技術的な話でもなんでもなくて、単に「こんな面白いことがあった」というメールを頂くこともあるが、それもまたとても私には役に立つのである。例え、現実的には「役立たなく」ても、それはとても「役に立つ」のである。
 そんな「ささやかだけれど、役にたつこと」を今回はいくつか紹介してみた。そういうことは「どんなことでも」、こちら(jun@hirax.net )まで送ってもらえると、とてもうれしい。
 



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