hirax.net::Keywords::「地形」のブログ



2005-04-04[n年前へ]

スキーヤー用の立体地図 

 「折りたたまれた小さな地図を引き出すと、実際の地形の高低を再現した立体地図ができあがる」という「スキーヤー用の立体地図」のMountMaps. from 古今東西製品情報
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2005-06-07[n年前へ]

立体写真の左右画像サイズ調整方法 

縮小通常 「立体写真の画像が大きすぎて、「左右の画像距離」が「自分の左右の目の間隔」より長すぎて、平行法でなんか眺められないよう〜」という言葉を頂いています。そんな場合は、ブラウザの機能を使って画像の大きさを調節して頂けますでしょうか。例えばインターネット・エクスプローラなら、ウィンドーの大きさを変えれば画像サイズが調整されることでしょう。また、他のブラウザーでも(もしくは何らかのプラグイン機能を用いれば)きっとそんなことができるだろう、と思います。

テリー伊藤 そういえば、私がまだ学生だった頃、大学の教官が何かの学会で地形図を立体写真で見せたことがありました。巨大スクリーンに投影したわけです、もちろん平行法で。左右の画像が数メーター離れていたのですけれど、それほどに左右の目が離れている人なんかいないわけです。というわけで、その立体地形図は誰も立体的に眺めることはできなかったのでした。テリー伊藤だったら、もしかしたらちゃんと見ることができたのかもしれないですね。

2005-07-26[n年前へ]

測地系のズレと地震グラグラ 

ここギコ!: Google Mapsの疑似日本測地系とかいうアレに関する勘違い 「日本測地系と世界測地系のズレ」の話を読み、先日の渋谷で揺れの大きい地震に驚き、学生時代に学んだ内容を思い出した。それは、第二次世界大戦前にあった同じような「二つの測地系のズレ」の話である

長春概要 第二次世界大戦前、東京を原点とする日本の測地座標系と長春を原点とする旧満州の測地座標系が結合された時にも同様の「二つの測地系のズレ」問題が発生した。これは、東京原点付近の地殻構造が複雑でジオイドが「地球全体に適合する楕円体」に対して傾斜しているからである。(各原点の位置計測精度によるズレによるものでなく)各原点のジオイド形状の違いにより、その問題が生じた。

天文経緯度と測地経緯度 測地系で用いられる準拠楕円体は、「原点におけるジオイド」に接する「ベッセル楕円体」として定められる。ジオイドとは「重力の等ポテンシャル面のうち平均海面と一致するもの」である。地形形状や地面内部の物質分布などにより、滑らかではあるが決して単純な形状ではない。特に、東京原点付近のような地殻構造が複雑な地域では複雑に凹凸を持つことになる。

http://wwwsoc.nii.ac.jp/geod-soc/web-text/part3/kuroishi/kuroishi-4_files/Fig4.jpg そのため、(ジオイドが凹凸形状をした)東京を原点とする日本のベッセル楕円体と「地球全体に適合する楕円体」は中心位置が大きくずれたものとなる。それに対して、(大陸内部に位置しジオイドの傾斜量が小さい)長春を原点とするベッセル楕円体と「地球全体に適合する楕円体」のズレは比較的小さい。その結果、東京を原点とする日本測地座標系と長春原点の旧満州測地座標系の間にズレが生じたわけである。

 最近巷で見かける「日本測地系と世界測地系のズレ」も原因を辿れば、東京原点付近の地殻内部構造に端を発していることになる。つまり、結局のところ、日本で頻発する地震とその原因は同じであるということになる。測地系の位置ズレ問題とプレートの位置ズレ問題(地震)は似たような話、と言うことができるかもしれない。

2008-03-05[n年前へ]

「広重」と「ゴッホ」について書いたこと 

 いくつかのものを並べて眺めてみたり、あるいは、まとめて平均して眺めてみた時、ようやく浮かび上がり見えてくるものがある。たとえば、安藤広重の「名所江戸百景 大はし阿たけの夕立」とゴッホが描いた"Bridge in the Rain (after Hiroshige)"をを眺めてみれば、江戸とパリで時間と距離を隔てて描かれた、けれど不思議なくらい線が重なる景色が見えてくる。そう思う。

 広重とゴッホが描いた景色をモーフィングさせた時、その景色を眺めたとき、そのモーフィング画像の中に一体何が見えるだろうか。色の違いだろうか。それとも橋の設計の違いだろうか、それとも、歩く人の気配だろうか。顔料を通して見えてくる静謐感や躍動感だろうか。

 並べて眺めることで、初めて見えてくるものの一つが「立体感」だ。ゴッホ(など)の絵画などの絵画を並べて眺めることで、立体的にゴッホが眺めた景色を私たちも見ることができたり、する。不思議なくらい、立体的に見えてきたりする。

 広重「名所江戸百景」を3Dで再現しようという、"CG"名所江戸百景を眺めてみたり、114年前にゴッホが眺めた満月を眺めみるたび、とても不思議な気持ちになる。何しろ、空間や時間を、まるで透明人間のように、自由に行き来できるように(自分が眺めることができない、けれど、他の誰かが眺めている)景色を眺めることができるのだから。

 「左下」の画像は広重の東海道五十三次の中の「由井」で、「右下」が「由比」でいつの日かに見た景色だ。長い年月を隔ててはいるけれど、多分、ほとんど同じような場所で眺めた同じような景色だ。たぶん、コンピュータで相対的な色ヒストグラムで解析でもすれば、きっと同じような景色に見える。けれど、人が眺めたら、全然違う時代の景色に見える。地形は同じだけれど、自体は全然違う景色に見える、きっと、そんな写真だと思う。
東海道五十三次今日

 静岡県 由比にある「東海道広重美術館」の入り口には「版画体験コーナー」がある。「広重の東海道五十三次の「由比」を青・赤・黒の三色の版画で再現し、三色重ね刷りすることで、浮世絵の版画(世界初のカラー印刷技術)を体験しよう」というものだ。
 色毎の位置合わせは、手でやるにせよ、機械がやるにせよ、とても難しいことだから、(色あわせに祖失敗した)「見当違い」の版画になってしうことも多い。少なくとも、私はそんな見当違いの版画を作ってしまった。けれど、そんな風に版画を作る体験はとても楽しかった。

 カラープリンタが割に一般的になった現在、プリントゴッコで浮世絵を作ったりするのも新鮮で良いと思う。消しゴム版画で浮世絵を作ったりするのも、とても面白いと思う。
一色刷二色刷完成






2008-03-25[n年前へ]

「ひょっこりひょうたん島」に上陸する 

 「我入道」で書いた大山巌の別荘跡は「ひょっこりひょうたん島」の浜辺にある。海辺に位置する牛臥山は、少し昔はれっきとした島だったのだけれど、その牛臥山の地形はひょっこりひょうたん島の地形にそっくりだ。だから、ひょうたん島資料館を、牛臥山近くに作ろうというプロジェクトすらあるくらいだ。

 いつも生活している街並みから、ぽっかり浮かんで不思議にズレているような場所がある。毎日歩く道先にあるはずなのに、普段はなぜか辿り着けない。
   「我入道」

 少し前、大山巌の別荘跡を守る「陸に浮かぶ孤島」の牛臥山に登ってみた。古い神社の横(あまりに定番の場所だ)にひっそりと、定期的に人が歩いているように見える道があって、その草木が折られている箇所を登っていくと、ひょっこりひょうたん島ならぬ牛臥山のてっぺんにたどり着いた。地面近くの草に足をひっかけて転んでしまうと、何だか数十メートルくらい滑落してしまいそうな感じだった。

 頂上近くから「大山巌の別荘跡」を見ると、そこは普通の公園になっていた。まだ、どの入口も封鎖されているから、「毎日歩く道先にあるはずなのに、普段はなぜか辿り着けない場所」ではあるのだけれど、けれど、かつてのような不思議な場所・歴史の中のエアーポケットに遺失物として置かれたままになっている場所とは違ってしまっている。

大山巌たちが海を眺めた別荘跡、彼らが歩いた石垣や階段跡を散策することができる。三方を急峻な山に囲まれ、残りは海が広がり、そして現在は誰もいない場所は不思議な空間そのものだ。
   「我入道」

 しばらくすれば、我入道にある「大山巌の別荘跡」は、交通標識に沿っていけば、迷わず誰でも行くことができる場所になる。あるいは、干潮時の岸壁沿いを通ってたどり着いたとしても、そこには「普通の整備された公園」があるだけだ。

 我入道という地名は、船に乗った日蓮上人が「ここが我が入る道である」と言って上陸したことに由来する、という。日蓮上人と違う私たちは、自分たちが進む道を簡単に決めることなどできない。考えて時に迷い、時には何も考えずに、ただ歩く。そして、そのルートが「自分が歩いた道」「我入道」になっていくだけのように思う。
   「我入道」
 最初から最後までアスファルトで整備されているような「ルート」があるのかどうかは、幸か不幸か知らない。けれど、もしもそんなルートが現実にあったとしたら、それは単に鋳造されたポインタのない「線路」に過ぎなのかもしれない、とも思う。鋳造された線路と、先の見えない獣道のどちらがいいのかは、わからないけれども。

牛臥山牛臥山牛臥山








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