2005-04-11[n年前へ]
2005-10-18[n年前へ]
2010-09-03[n年前へ]
■サヨナラ、ジャンク・ショップ
先日、消費税込105円ナリで買った"UV400カットのスポーツ・サングラス"の使い心地がとても良かったので、(数年分くらいの)予備を買っておきたくて、100円ショップのダイソーに行きました。
たぶん、もう棚には残ってないだろうと思っていたのですが、…やはり、まだ4・5個あったはずのネジが取れてる"スポーツ・サングラス"は見当たりませんでした。壊れていることを承知で買った人がいるのか、それとも、壊れた品物は棚から片づけられてしまったのか…、どちらだろうかと考えつつ、売り場を後にしました。
トクするか損するか、当たるも八卦外すも八卦のジャンク品を買うのが好きです。思い出せば、初めてのウォークマンもどきを買ったのも、秋葉原の駅近くにあるショップのジャンク品コーナーでした。定価の20分の1ほどの値段を出して壊れたウォークマンもどきを買い、中のベルト外れを直し・ラジオやレコードから録音した音楽を聴いていたような気がします。
いわゆる不良品は、少なくとも手に取ることができるようなものであれば、必ず生まれるものだろうと思います。そんなものの発生率を下げて、そんなものがあれば取り除き、商品棚に置かれないようにし続けることで、信頼や安心感が生まれます。しかし、その一方で、そんな品を好んで手に取るリスク・テイカーも生息し続けているのではないかと私は勝手に想像します。
人それぞれ、どんなリスクを好み・どんなリスクに近寄らないかは違うことでしょう。あなたの嫌いなリスクはどんなもので、あなたが好むリスクは一体どんなことでしょうか?
2011-03-01[n年前へ]
■「予約録音した深夜ラジオをケータイで聴くこと」こそが「21世紀のウォークマン」だ。
パソコンを「そのままラジオ受信機」にすることができるのが「IP(Internet Protocol)サイマルラジオ(radiko)」です。私のiPhoneには、そんなIPラジオを 予約録音するアプリケーションを使って録音した番組が詰まっています。
太陽が街中を眩しく照らす中、「パパッパ・パッパパパ・パッパパ…」とトランペットが高らかに奏でるメロディとともに始まるビタースウィート・サンバの音楽で彩られたニッポン放送のオールナイトニッポンなどを聞きながら歩けば、まるで自分の周りだけが「深夜遅くのハイテンション」に包まれているような感覚に陥ります。それは少し不思議なタイムマシーンです。
SONYが「ウォークマン」というものを作り出したとき、とても不思議な感覚に襲われました。ウォークマンに繋がったヘッドホンをかけた瞬間、「周りの世界に響いているはずの音」から切り離されて、まるで「自分の聴きたい音楽だけに一人包まれている」という未知の感覚に襲われました。そこが商店街でも、学校の教室でも、夜のサイクリングロードでも、"Play"ボタンを押した瞬間に、自分の周りの空間を歪ませ「ここではない遠くの世界」に繋ぐ不思議な装置であるかのように思われたのです。
予約録音した深夜ラジオをiPhoneやケータイで聴くと、まるで自分の周りが「空間だけでなく時間すら歪んでいる」ような気に襲われます。自分の周りだけが、深夜の一時から二時くらいの時間へと、クダラナい話題を心から楽しむことができる時間帯へ誘われるような感覚に襲われるのです。
だから…と書くのも変ですが、「予約録音した深夜ラジオをケータイで聴くこと」こそが「21世紀のウォークマン」だ、などと思うのです。それは人類の可能性を広げる機器かもしれないし、あるいは、それはアルコールなどと同じある種の麻薬かもしれないし、・・・とそんな風に思います。
2011-05-06[n年前へ]
■どこに不具合があるかが明記してある「ジャンク」は素晴らしい!?
最初に手に入れた「ウォークマン」は、1000円程度で秋葉原ロケットで買いました。当時、秋葉原ワシントンホテルの前にあったロケットの「ジャンクコーナー」で、「駆動系動きません」といった張り紙がされているアイワのウォークマン(SONYではないので本当はウォークマンとは言えないのですが)を中学1年生のお小遣いを全部投入して買ったのです。
アイワのウォークマン(モドキ)ジャンクの中身を開けてみれば、駆動モーターに回されているゴムが外れているだけでした。だから、ゴムを張り直すだけできちんと動くようになり、ラジカセで夜のラジオをカセットテープに録音し、何やら難しい言葉ばかり流れる中学の授業時間中、ヘッドホンから流れるステレオの世界に浸ってみたりした記憶があります。
生まれつきビンボー生活が染みついているので、つまり「欲望」と「財布の中身」が釣り合わない日常ばかりだったので、よく「ジャンク品」に手を出します。上手くジャンク品を動かすことができ満足感にひたることもあれば、…どうしても動かすことができなくて悔し涙を流すこともあります。
「駆動系動きません」という張り紙がされた(欠陥)商品も、その正直な張り紙がある限りは、私は満足できるような気がします。もちろん、そういった商品の存在を認めることができない人もいるだろうと思います。
「情報」「リスク」「選択」「安心」…そういったものをどのように手に入れたいかということは、きっと人によって違うものなのでしょう。
「絶対安全なカミソリ」がないのと同じく、(値段という名の欠点も含めれば)どんな商品にも欠点があるはずです。…だから、メリットと欠点(という名のリスク)と値段を天秤にかけつつ、貴重なものをどこに掛けるかを考えなければいけないのだろうと思います。
不思議なことに、「問題点や欠点」を説明することをよしとしない考え方もあるようです。最近、そんな説明をよく聞くような気もします。問題点や欠点を示すことは、売り手や買い手に余計な動揺を与える、という考え方もあるようです。
郊外に行けば(問題点や欠点を商品に貼った)「アウトレット店」が大人気なようです。それは、説明書がないけれど絶対安全だと言われている高い機械よりも、「駆動系動きません」といった張り紙がされているアイワのウォークマン(ジャンク)の方を選ぶベクトルに似ています。
その一方で、問題点や欠点があたかも宇宙に存在し得ない反物質のように捉える「空気」もあるように感じられます。…そんな空気が、一体どこから流れてきているのだろう?とずっと考えています。