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2012-07-16[n年前へ]

「乗り物」と「ミューズ」と「逃げる」 

 from 「n 年前へ

 電車や車に乗って行くのが普通と思いこんでいた場所に、近くのコンビニに行くのと同じように、自転車に乗って辿り着くことが”できる”ということは、とてもワクワク・気持ち良くさせます。
 クヌース「という」アメリカの数学者と話したとき、である。「ドナルド・クヌースと話した時」ではなく、つまりは「読者はしらないだろうが、あるアメリカの数学者と話したとき」だ。
 小島寛之さんの言葉の近くに、はてな近藤社長の「逃げる」という言葉が書いてあります。その言葉を最初に眺めたとき、力強い文字とその言葉がどうも似合わないように思えて、ふと首をかしげたのでした。ずいぶん消極的な言葉にみえて、意外に感じたのです。  その違和感が消えたのは、しばらくしてスポーツ解説のテレビを眺めてた時でした。…「逃げる」という言葉は、私が思ったような消極的な言葉ではなく、「苦しくても、力一杯アタックし続ける」という覚悟の言葉だったんだなぁ、と思い至ったのです。
 道具は何かを達成するための道具に過ぎない…けれど、その道具が私たちの衝動や欲望を突き動かし、新たな可能性へと誘(いざな)っていたりいたりもするのではないか、と思います。

2013-01-03[n年前へ]

「センス(自然の感覚)」と「ミューズ(美の女神)」 

 安野光雅「絵のある人生ー見る楽しみ、描く喜び」から、(安野光雅の他著作で)何度か読んだことがある数節。

 群像を描く場合、赤い服の向こうにまた赤い服が着て重なると上手くない。また、…右に赤い服を着た人を描くと、なぜか左の方にも赤い服を着た人を配して画面の色彩的なバランスをとりたくなったりします。このバランス感覚は、…頼るのは自分のセンスです。それは…、瞬時に頭をよぎる感覚です。
 鴎外はそんな不思議な感覚(直感)について「自分の中にもう1人の自分がいて、その人が自分を操作している、自分は舞台で踊らされている人形に過ぎないと思うことがある」という意味のことを書いています。
 以前、アメリカのクヌースという数学者と…話したことがあります。そのとき「頭の中の指揮者」について話したところ「それがミューズ*だよ」と言いました。「(クヌースがこの直前に書いた論文に対して)論文も、ひとたび書きはじめると後は、こころの中にいるらしい、指揮者の命令のままに書いていたような気がする」という意味のことを言っておられました。そういえば数学者の遠山啓も「数学教育の目的は直感を育てることにある」と言っておられました。

 ミューズ(Muse)は芸術や学問などをつかさどるギリシャ神話の女神たちです。音楽(Music)に耳を傾けるとき、美術館・博物館(Musiam)を歩き・何かを眺める時、人を楽しませ・楽しむとき(muse)、体の中にはきっとミューズが入ってきて、それと同じように、何かを作っている時ミューズが自分の中に訪れてくれたなら…と願います。



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