2005-12-17[n年前へ]
■リリー・フランキーさんからあなたへ
今日の朝日新聞 の「リリー・フランキーさんからあなたへ」
私に語りかけ 締め付ける もう一人の私あなたがいるおかげで、私の一日は、これから一生、一日たりとも、満点になることは一度もない。
2006-08-27[n年前へ]
■今日のフォロー
ふと、「心の狭さの法則」と「苦手なメール」を読んだ編集者や仕事の顔見知りなどが、「これって自分のこと?」と勘違いしたりするかも…と気づきました(気づくのが遅い)。「苦手なメール」の書き手って、こんなページ(やサイト)を読んだりしない方々ですね。実際、リリー・フランキーも(確か)鴻上尚史相手に『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』の「オカンが亡くなった日に、原稿催促の電話をしてきた編集者」のことを語った時に、鴻上尚史(で良かったかな?)に「その編集者が、もしもこの記事読んだらマズくないですか?」と言われて、「いや、あぁいう人は、ぼくの記事なんか読まないですね」と即答していたのと似てる感じですね。って、どんなフォローだ。
■「心の狭さの法則」と「苦手なメール」
私は元から心が狭い。しかも、その「心の狭さ」は忙しさの三乗に比例して、さらに狭くなるようだ。「自分自身を客観的に眺めるのは難しい」ということも事実である。しかし、客観的に眺めなくとも「おぉ、(この瞬間の私は)なんて心が狭いんだぁ」と自分で思うくらいだから、「忙しさの三乗に比例して、心が狭くなる」ということも、また事実であるように思う。
忙しさに追われて心が狭くなっている時、一番苦手なのが「メール」だ。とくに、「何かの催促や要求をするメール」である。忙しい時にそういうメールが増えてくると、やる気が減衰し、作業の能率が低下してしまいさらに忙しくなる、という魔のスパイラルに陥ってしまうのだ。というわけで、最近では、「"再送"という文字が題名に入っているようなメールは、自動的に削除する」という仕分けルールを適用し始めてしまったくらいである。実に心に余裕がないダメダメ人間だ。
とはいえ、「何かの催促や要求をするメール」はとても苦手なのだけれど、「事務的に淡々と書かれている仕事の催促メール」は心から苦手というわけでもない。心から苦手なのが、特に苦手なのが、「個人としての送り手の事情を催促の理由として書いてある、催促・要求メール」で、そんなメールの送り手には、確率100%で「憎しみ」すら沸くほどだ。先日、リリー・フランキーとナンシー関の対談文を読んでいる時に、同じような内容が書かれていた。100%同意のココロだ。
この間も、若い女の編集者が延々とFAXで「こちらがどれだけ困っているか、おわかりのはずです」とか書くわけ。そういう攻撃されると、サラ金に毎日取り立てられてた頃思い出してブルーになる。「困っているんですけど」って言われても困る。 「リリー&ナンシーの小さなスナック」
2008-09-09[n年前へ]
■ぐるりのこと
人間関係は、一度出来上がったからといって放っておいてはいけない。いつも「ケア」の、「お手入れ」の必要があるのだ。そうしなければ、必ず、ほころびが出る。それにもかかわらず、我々は、放置してしまう。
高橋源一郎 「ぐるりのこと」
2009-08-12[n年前へ]
■リリー&ナンシーの小さなスナック
ナンシー関が亡くなるまで続いたリリー・フランキーとの対談「リリー&ナンシーの小さなスナック 」に収められている、リリー・フランキーによる「あとがき」から。
繊細な人でしたから、他人を無意味にほめることはなかったし、また、単なる悪口を書くような文章も読んだことがない。気の強い人ではなかったから、書かれる対象以上の重圧を自分で受け止めて、きめ細やかに文章を綴り、消しゴムを彫っているのだと僕は感じていました。