2003-07-12[n年前へ]
■14ミリグラムの「いろんな気持ち」
あるいは-気持ちを軽くする「息抜き」化学式-です。気持ちが落ち込むときには、ため息をつくか、あるいは深呼吸をするしかないかな、というような「息抜き」空想話です。ロボットじゃない人間は呼吸をするしかないのかな、と。
■14ミリグラムの「いろんな気持ち」
気持ちを軽くする「息抜き」化学式
小学校の頃、ダンボールのような不思議なものをかぶる人を描いた挿絵とともにこんな話を国語の教科書で読んだ記憶がある。この記憶の隅に残り続けている話は、乙骨淑子の「すなの中に消えたタンネさん」という物語らしい。この物語のように、悩み事を砂に変えて消し去ってくれるなんて機械がもしもあったとしたら、私だって欲しくなってきっと一つ注文してしまうかもしれない。そして、結局は「空色のせんたく機」のバックオーダーをさらに一つ増やしてしまい、タンネさんをさらに追いつめてしまうことだろう。
発明家タンネさんが作り出した「悩み事を砂に変えてしまう洗濯機」のような、いろんな気持ちを何かの物質に変えてしまうような「気持ち・物質」交換機なんていうものがあるという話は残念ながらまだ聞いたことがない。だけど、もしも、そんなものがこの世の中にあったとしたらそれは一体どんなものなのだろうか?
それは一体どんなものだろう?と想像してみようと言ってみても、いろんな気持ちを何かの物質に変わるだなんて、何をいきなり荒唐無稽なことを言うのだろうと思われるに違いない。けれど、少し振り返って考えてみたりすれば、悲しい気持ちがいつのまにか涙に変わったりする、なんてことであればそれはとてもよくある話だと思う。そんなふうに、「悲しい気持ちが涙という水に変わったりするなんて」ことが当たり前のようにあるとするならば、「いろんな気持ちが何かの水に姿を変えて、そして気持ちが水とともに消え去っていく」ことが当たり前のようにあったとしても、それは別に不思議な話でもないようにも思われる。
例えば、人が息を吸いこむと、一呼吸あたり約17ミリリットルの酸素が体の中に取り込まれる。そして、その酸素は体の中で糖分と反応して二酸化炭素と水に変わる。化学式で書いてみれば、C6H12O6+6O2+6H2O→6CO2+12H2Oという反応が起こるわけだから、一回分の呼吸から14ミリグラムの新たな水が体の中で作り出されるわけだ。いろんな気持ちが「涙という水」に姿を変えることがしばしばあるように、この呼吸の中で作り出される「14ミリグラムの新たな水」が実は体の中の「いろんな気持ち」が姿を変えたものだと考えてみるのも少し面白いと思う。呼吸の結果起こるC6H12O6+6O2+6H2O→6CO2+12H2Oという化学反応が実は「気持ち・物質」交換を示す化学式だったと考えてみると、少し面白いことを思いつく。
例えば、こんな風に考えてみよう。体の中に悲しい気持ちを抱えたまま、息を吸ってそしてため息をつく。すると、その悲しい気持ちが体の中で14ミリグラムの水に姿を変える。そして水に姿を変えた14ミリグラムの悲しい気持ちはいつの間にか体の外に排出されて消えていく、と考えてみる。一回呼吸をすれば、一回ため息をつけば、14ミリグラムの悲しい気持ちが体の中から消えていく、と考えてみるのである。一回の呼吸で14ミリグラムだけ気持ちが軽くなる、と考えてみる。体や心を休めることを「息抜き」と表現するけれど、それは息をするおかげで気持ちが軽くなるこの「気持ち・物質」交換を示す化学式に基づいていたのだ、と空想してみるのだって面白いに違いない。C6H12O6+6O2+6H2O→6CO2+12H2Oという化学式に「息抜き」という言葉が基づいていた、と考えてみるのである。
あるいは、こんな風にも考えてみる。一回の呼吸で14ミリグラムの色んな気持ちが14ミリグラムの水に姿を変えるのでれば、それは一生を通して考えてみると
残念ながら、タンネさんの「空色の洗濯機」はまだ世の中にはない。だけど、こんな風に呼吸が実は「気持ち・物質」交換機かもしれない、と考えてみると少しは息抜きになりそうなことを思いつく。例えば、いつもより色んな気持ちを抱えているときには、いつもより大きく息を吸って、そしていつもより大きく息を吐いてみる。そうすれば、きっといつもより多くの「いろんな気持ち」が水に変わる。いつもより多く、もしかしたらそれは数ミリグラムだけしか多くないかもしれないけれど、いつもより気持ちがほんの少し軽くなるかもしれない。
2004-01-20[n年前へ]
■「地図にない場所」
「男の隠れ家」という雑誌に少しハマっていたのは何年も前。その頃は、山奥や海が見える山中にある「男の隠れ家」を扱う雑誌がずいぶんと多かった。今では、そんな雑誌の扱う話もずいぶんと小さくなって、「男の小さな玩具」程度の雑誌が増えてしまった。それも、現実の経済事情を考えれば、まぁ仕方のない話だ。
山奥にある「男の隠れ家」ではないけれど、ガイドブックにも載っていない、地図にすら載っていないような隠し湯に憧れたりする気持ちを持つ人は多いと思う。つげ義春が歩くような辺鄙な温泉宿や、あるいは誰もいない山の中でぼぉっとしてみたいなんて思う人は多いハズだ。「地図にもない場所」だなんて、その響きだけで気になってしまう人だっていると思う。
「はてなアンテナ」というサービスを知ったのは一年少し前だったろうか。『「おとなりアンテナ」という機能があって、不思議なくらい自分の好みに合ったサイトを教えてくれるんですよ』と、ある人に教えてもらったのだった。そして、実際に使ってみると、サイトの好みの類似度から「好みに-近い-サイト」を計算するその「おとなりアンテナ」はとても面白く感じた。だから、しばらくして「はてなダイアリ」が始まった時、ベータテスターに応募してみることにした。「はてなダイアリ」を使い始めると、日記内のリンク(キーワードリンク)の類似度から、その日記に「近い」と想定される「おとなり日記」を算出してみたりする機能が付いてみたりして、その「近い」「遠い」を算出する手法と趣向には感嘆したのである。そのサイトの間の「距離」にこだわるやり方をとても面白く好ましく思ったのだった。そして、その頃にはてなの作成者が研究室の後輩であることを知った。
なるほど、測地学研究室という名前で、種々の測定手法で色々な箇所の位置を求め、種々の座標系の中にそれらの箇所を書き記したりするという研究室を選んだり、あるいはその中で時間をいくばくかの時間を費やしたのでであれば、「近い」「遠い」にこだわってみたり、「おとなりMap」を描いてみたりするのはとても自然に違いない。三角測量やGPS衛星を使って、色んな場所の位置や距離を求め、そしてそれぞれに適した座標系のもとで地図をつくる、という研究室にいたならば、「距離」を測って地図を描きたいと思うのが自然に違いない。GPS衛星ならぬネットワークロボットを使って、ネット上を測量し、色んな距離を測ってみたいと思うのだろう。そして、彼(彼ら)のあの伊能忠敬のような行動力であれば、これからも色んな地図を作り出して行くに違いない。
そんな、「色んな場所の地図を描きたい」という欲求は私にももちろんとても強くある。ひっそりと隠れている何かを誰の目に見えるようにしたい、という気持ちが強くある。そして、そんな欲求がある一方で、それと同時に「地図にはない場所」や「誰も知らない場所」に憧れる気持ちもやはりある。誰もいない「地図にない場所」に行ってみたいという気持ちも強い。色んな場所の地図を描いてしまえば、「地図にない場所」は減ってしまうだろうし、そこにはたくさんの人も訪れてしまうかもしれない。実際、私にはてなを教えてくれた人は、しばらく前にその人の「はてなダイアリ」を閉じてしまった。「ひっそりと隠れているつもりの日記」は消えてしまった。
まぁ、よくある言い古されたジレンマの話なのだけれど、ふと「地図にない場所」を好きな人こそ「地図を作ろう」としてしまうんじゃなかろうか、と思ったのである。そして、「地図にない場所」をなくしてしまったりするんじゃなかろうか、とふと思ったりしたのだった。
2004-01-24[n年前へ]
■「RTは安心を創造するか」
21世紀COEプログラム 第1回国際シンポジウム 「RTは安心を創造するか」 主催 21世紀COEプログラム 「超高齢社会における人とロボット技術の共生」 日時・場所 2004年2月7日(土) 13:00〜18:00 早稲田大学文学部38号館AV教室 懇親会 18:00〜20:00 文学部カフェテリア 講演者 ・Prof. Rodney A. Brooks (MIT) ・Prof. Paolo Dario (Sant'Anna) ・谷江 和雄 先生 (AIST) ・幸田 昭一 様(東京都福祉局) ・笠木 伸英 先生(東京大学) 参加費・懇親会費 無料 http://www.waseda.jp/prj-rt/