2008-02-16[n年前へ]
■「鯖街道」と「地獄八景亡者戯」
NHK朝の連続テレビ小説「ちりとてちん」で、涙なくしては見ることができない「地獄八景亡者戯」が演じられている。何週間かかけて、何人もの登場人物たちが、それぞれの人生に重ねた「地獄八景亡者戯」を演じる。その幾重にも重なる人生の姿に涙する人は多いと思う。
冥途を旅する……という話のルーツは随分古いものがありましょうが、これを滑稽なしゃれのめした物語にしたのは、(室町の狂言にもありますが)やはり江戸時代からでしょう。
「地獄八景亡者戯」は、鯖にあたって死んだ「喜ぃさん」の話で始まる。若狭の海から京都・大阪へと鯖を運んだ街道が鯖街道・若狭街道だということを思い返せば、何だか「地獄八景亡者戯」はとてもその鯖街道と似合ってる。
もともとこの話は、その時その時の事件や世相流行などをとり入れて、言わばニュース性を持たせてやる演出で伝わってきたものです。五世笑福亭松鶴師のは、私が聞いたのは戦後でしたが、昭和初期の赤い灯青い灯の道頓堀、カフェー全盛時代や、活弁の真似なんかがはいっていました。
このはなしの一応の原典と見てよいものは江戸時代の小咄本にありますが、各地の民話にもあり、また欧州の民話にもあるそうで、木下順二氏の「陽気な地獄破り」はこのヨーロッパの民話を基にされています。本当の原典は従ってよく判らないというのが答えと言えましょう。
小浜の町から若い(わかい)主人公 若狭(わかさ)が関西の街へ出て、年を重ねつつ色んなものを見る。そんな話と「鯖街道」と「地獄八景亡者戯」は、とても自然に重なっている。
その内に、これを十八番の持ちネタとして新しい「地獄八景」を作ってくれる人が出てくることでしょう。これは滅ぼしたくない話です。
2008-03-21[n年前へ]
■「ちりとてちん」と「地獄八景亡者の戯れ」と「自己言及パラドクス」
NHKの朝の連続ドラマ「ちりとてちん」がもうすぐ終わる。エンディングに近づきつつある「ちりとてちん」では、冥土ツアーが語られる落語「地獄八景亡者の戯れ(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」を演じる音声が、画面の後ろに流れているシーンも多い。
もともとこの話は、その時その時の事件や世相流行などをとり入れて、言わばニュース性を持たせてやる演出で伝わってきたものです。
森下伸也の「逆説思考」~自分の「頭」をどう疑うか~(光文社新書)を読んでいると、冥土ツアーが語られる落語「地獄八景亡者の戯れ(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」における、自己言及的パラドックスが挙げられていた。
このはなしの一応の原典と見てよいものは江戸時代の小咄本にありますが、各地の民話にもあり、また欧州の民話にもあるそうで、…本当の原典は従ってよく判らないというのが答えと言えましょう。
森下伸也「逆説思考」で挙げられている「地獄八景亡者の戯れ」での自己言及的パラドックス一つは、三代目桂米朝のものであ り、もう一つは桂文珍のものである。ちなみに、桂米朝のものはこんな感じの「地獄八景」である。
冥土の歓楽街に、亡くなった過去の名人の名前が豪華に並んでいる。よく見ると、そこに「桂米朝」の名前もなぜかある。
「そないな名の亡くなった落語家いてへんやろ?」
「よう見て下さい。”近日来演”って張り紙してありまっせ」
「なるほど、本人はそれも知らんと落語でもしてるんですやろな」
桂米朝 「地獄八景亡者の戯れ」
もうひとつ挙げられている桂文珍のものは、閻魔の前で特技の落語として「地獄八景亡者の戯れ」を披露し始めると、その話の中でさらに、「地獄八景亡者の戯れ」が展開されて…というM.C.エッシャー描く版画のような、「地獄八景」である。
それにしても、ドラマ「ちりとてちん」は面白い。あと、一週間で終わってしまうのが残念だけれど、本当に旨く美味しい「半年間ほどの短編ドラマ」だと思う。一見長く見えるけれど、短いショート・ショートの連作のような、実はそれが繋がっている一つの短編小説のような、そんな素敵な作りだ。
その内に、これを十八番の持ちネタとして新しい「地獄八景」を作ってくれる人が出てくることでしょう。
何ヶ月かすると、このドラマのことも忘れてしまうかもしれない。けれど、何かの折に受ける印象・する選択に、どこかで影響を与えたりしてくれたら良いな、と思う。