2011-10-14[n年前へ]
■「ローカリゼーション技術」は「相手」に合わせつつ「自分」を表す「コミニュケーション技術」
『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか? 世界で売れる商品の異文化対応力 』を読んだ。本書を読んだきっかけと読んだ後に考えたことについてはまた別に書く。商品を「(地域・世代・時代といったさまざまなものに)適応させる」という「ローカライズ(時にはパーソナライズ)」するという本に見え、実は「コミュニケーション」を知るための本でもあった。「ローカリゼーション技術」は「相手」に合わせながら自分を表すコミニュケーション技術でもある。
質の高いフィードバックは、相手の期待度と近似値でこそ返ってくる。話が通じる相手であると見せないといけない。(中略)期待通りであることを演じないといけない。
ローカリゼーションは、相手のいわばミニマムの期待値をクリアすることなんです。「こういつ、俺たちのこと、何も分かっていない」とは思われないようにする。そうすると、(中略)質の高いフィードバックを得られるわけです。
しかし、「共感」を得るためのもっともユニバーサルなツールは、論理的なコンセプトであることを忘れてはいけない。語る相手の頭の中が見えるようなプレゼンに人は納得し、そこで獲得した「共感」は根強く印象に残る。
コミニュケーションの語源、communication = communis ( common ≒ 共通に)+ munitare(行き交うことができるようにする)というものを振り返りながら、この本を読むと「腹持ちするたくさんの具体例」と「私たち日本人に向けてわかりやすくローカライズされたロジック」で、たくさんの「見る(知る)力・理解する力・コミニュケーションする力」ことを手に入れることができる、かもしれない。
■「ローカリゼーションマップ」と「相手を知り、自らを知り、変える・変えないを選ぶ」
安西洋之・中林鉄太郎氏に「ローカリゼーション」について話を伺いました。『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか? 世界で売れる商品の異文化対応力 』の著者である両氏に聞いたのは、地域・国あるいは、その時代変化、さらには各個人に合わせて、「どう商品を変えていくか」という話です。
人の頭の中をのぞき見ることはできない。しかし、異文化市場のお客さんに製品を売り込んでいくためには、その地域のお客さんの思考回路をじっくりと観察するぐらいの気持ちで顧客思考を貫く必要がある。
INTRODUCTION 「グローバル時代に欠かせないローカリゼーションの視点」
異文化の人々に製品やサービスを受け入れてもらうためには、ローカリゼーション(現地化)が必要になる。(中略)地域や文化が違うとロジックが変わってくる。ユーザーの思考プロセスも異なってくる。
INTRODUCTION 「グローバル時代に欠かせないローカリゼーションの視点」
本書の最後の方で、「コンテクスト(背景文脈)への依存量」と「市場規模」という2軸で作られる平面上に「商品(製品)」を配置(ポジショニング)させた「ローカリゼーションマップ」というものが出てきます。これがブレーンストーミング・思考整理のためにとても役立つように思われたので、自分の手で清書し直してみました。それが、下図です(この図は本書中では”ローカリゼーションマップ”と”ローカリゼーション動的図”という2種のグラフに分けられているものを、ひとつのポジショニングマップへと合成したものです)。
たとえば、「ルイ・ビトン」の商品というものは、その製品(企業)文化・歴史とともに価値が認められ(そういった歴史・文化と言った”コンテクスト”に強く依存しており)、そのコンテクスト理解が世界的に広まり売れています(グローバルである)。
また、基本的にスマートフォンなどは、現在のところ、各地域文化といったコンテクストへの依存は比較的少ないが、グローバルに売れ始めている。
あるいは、洗濯機などは地域によって使い方・商品に対する捉え方が大きく異なっており(各地域毎のコンテクスト依存が大きく)、各地域におけるローカル市場ごとの製品となっている、という具合です。
このローカリゼーションマップで面白いのは、「コンテクスト依存」の量を示した横軸が、同時に「商品更新頻度」すなわち「変化の速さ」という時間軸にもなっていることです。たとえば、ルイ・ビトンの製品があまりにも変化してしまったら、そこにあるコンテクスト(価値があると認められているコンテクスト)からズレてしまうがゆえに商品が姿を変えていく速さは遅く、一方で、スマートフォンは刻々と追加されていく新機能の量にこそ価値があると認められ、だからこそ変化が非常に速い(次々と新製品を出し続けなければならない)、ということがわかりやすく見て取れるのです。
両氏から話を聞き、感じさせられたのはこのようなことです。ローカリゼーション(究極にはパーソナリゼーション)というのは、「どう商品を変えていくか」という話です。それは、自分(たち)が向かおうとする相手に応じて「どこを変える・どこを変えない」ということを決める、ということです。つまり、相手を見つつ・自分の価値をどこに見い出すかということです。さらに端的に言ってしまえば、それは「相手を知り」「自らを知る」ということになります。
「変えないこと」に価値を持つ「老舗」もあれば、ドッグイヤーで走り続けることに価値があるモノ(今のところは、変わり続けなければならないモノ)もあります。どこに価値があるか・それを見いだし、自らのどこに”変わっていくこと”を置き、どういうことに”変わらずにいること”を選ぶか…これは企業・商品だけでなく、人についてもあてはまる話でしょう。(関連記事:「ローカリゼーション技術」は「相手」に合わせなつつ「自分」を表す「コミニュケーション技術」)
「世界は同じになった」ユートピアに近づいている感を与えやすい台詞だ。さまざまな文化の魅力を維持しながら、地域特有の閉鎖性を破って自由なコミニュケーションがどれる風景があって欲しいという願いからくる、魅力的な言葉だと思う。それゆえ、あまり浮かれすぎてはいけない。必ず毒があり、しっぺ返しがある。
最終節 「パーソナリゼーションとの関係」
2012-01-20[n年前へ]
■「自分自身」に向けた「メッセージ」
最近の「とりとめもない、つぶやき(twitter)」から。
努力した量が手に入れる未来を決めるんじゃない。無限の好奇心・興味・未来や可能性を想像して見つけ出す心・自分が楽しくなる何かを見つけ辿り着きたいと欲する心…それが、「無意識のうちに努力する量」を限りなく増やし、未来を作り出していくんだ。
「苦労や悩み」は「必然」で、それを減らすことも消し去ることもできないけれど、「そんなものを無視できるくらいの魅力」を「見つけ出す・欲する」ことはいくらでもできるはず…それが「未来」というものじゃないか…と。うーん、何だか小さな赤ちゃんを(想像できないくらいの)痛みを伴って産み、そして、育てるお母さんにとっての「可愛いベイビー」みたいだ。
「運」や「偶然」は、未来を決める大きな要素だと、確かに思う。…その上で「(天性でない部分の)才能」や「(なにがしかの)運」といったものには、「それらを生み出す”何か”」「自分が操作することができる何か」も、人それぞれ違うにせよ、存在しているんじゃないかとも思う。…いや、「思う」と決めている(そう思わないとやってられないから)。
先日、隣の楽屋に「中林鉄太郎 様」と貼られていて驚いた。驚いた理由は、そのほんの少し前、中林・安西両氏らのローカリゼーションマップに興味を持ち、お二方のお話を聴きに伺ったばかりだったからだ。そして、それから数週間も経たないうちに、思いもがけない場所で隣り合わせる偶然に驚いたのだ。…これは確かに「偶然」だ。けれど「(ローカリゼーションというものに)興味を持つ」「そして、中林・安西両氏に話を聴きに行った」ことがあって、ようやく生じる偶然なのだ。そういう「偶然」は、結構ある。
右辺と左辺、どちらかが原因でどちらかが未来だと決まっているわけじゃない…と思うことが大事だ。右辺と左辺を自由自在に動かす想像力と機転を、必ず手に入れて欲しい。
『「高校・大学の頃の自分」に送る「短く具体的なメッセージ」』で書いた言葉を、さらに短く「ひとこと」にしてしまえば、「大変なこともある。それでも、未来に魅力を感じる力を手に入れて、前に進み続けろよ」ってことなんだろう。過去・現在(それはまさに自分自身だ!)・そして将来…すべての・ありとあらゆる自分自身に向けて。