2001-01-24[n年前へ]
■The right equation is not always right for left side.
一年間の英語研修も終わりに近づき、今は毎日レポートを宿題で一個書いて、それについての話を研修時間中にしている。といっても、レポートの内容はWEBに書いた記事を組み合わせ直して書いているだけだ。といっても、英語オンチな私には結構キツイ。しかし、話の展開によっては英語で書く方が楽だったりするのが面白いところである。ちなみに今日書いた話は、「Pandora's box + 掌の中の答え + Right Eye」。螺旋方程式はtwins equationということにして、その方程式の右辺と左辺の話にRightとLeftをからめた。 もし野田秀樹が英語で書いていたら、stageの左右も加わって素晴らしい世界を作るのだろうなぁ。
2001-01-25[n年前へ]
■Left Eye
カンバスから飛び出す「名画の世界」でホントのところ書いてみたかったのは、色んな見方が世の中にはあって、まずは同じ場所から眺めてみてからその後に他の場所から眺めてみるのも良いのかな、ということだった。でもって、次の日の英語のレポートの宿題は、片目で覗くカメラと視点の話なんかを書いてみた。
で、次の日は「Pandora's box + 掌の中の答え」で、世の中には二つの状態が常に存在していて(以下略)
じゃぁ、今日は何を書いたかはさておき、Right Eyeのリンクでもしておこう。
「この観劇の前日にある友人が亡くなったこともあって,人・右目の死が琴線に触れた.シャッターが落ちるように,一瞬でいなくなってしまった彼.正しい目(Right Eye)を亡くして,残された目(Left Eye)は何を見つづけよう.何が見えるのだろう.」from まほろの観劇記録1998年 (リンク)(リンク)
2001-04-05[n年前へ]
■トラウマ・トラウマ その1
そういえば、私は小学校の低学年の頃は長野の高原にある分校に通っていた。本当に絵に描いたような分校だった。
そういえば、何かの授業で「家の仕事」を調べる宿題があった。もちろん、家が農家でないのは両親が雑貨屋をやっている子と私との二人だけだった。
授業の中で、色んなドリルがあったように思うが、終わるのは私はいつも後ろから数えた方が早かった。つまりは、分校なので生徒の人数はものすご〜く少ないにも関わらず、私より先に終わる人達ばかりだった。そんな中で、特に今考えてみると本当にスゴイなぁと思えるような人が二人いた(クラスの人数が20人もいないのに)。そして、彼らは二人とも長男だった。
で、私はしばらくして東京のベットタウンに引っ越した。あの二人は
2001-10-02[n年前へ]
■色んな画家のカラープロファイル
なるほど、面白そう。宿題 > 自分。