2011-07-26[n年前へ]
■夏の朝一番には、江の島に行く。
ふと目を覚まし、時計を見ると午前1時過ぎです。もう一度寝ようと思っても、なぜか目が覚める一方で眠れません。…それならば、というわけで、海に登る朝日を見ようと思い、2時ちょうどに自転車に乗って(綺麗な海がある方向に向かい)出発しました。
JR東神奈川駅近くで、路面の巨大な突起物に乗り上げてしましました。乗り上げた瞬間に両輪がパンクしてしまったので、車輪の中のチューブを交換しました。…予備のタイヤ・チューブが無い状態で走るのもどうかというわけで…予備のチューブを取りに戻り、仕切り直しで出発したのが朝の3時少し前でした。
1時間前に眺めたはずの東神奈川駅を眺め、朝の3時40分の横浜みなとみらいを眺め、伊勢佐木町から鎌倉街道経由で鎌倉に行きました。早朝のこの道には、伊勢佐木町近くで毎日のように夜を明かす人がいて、そんな人たちの活気を感じることをできつつ・夜明け早くの街を走ることができるのが、実に心地良いのです。
朝の4時前…ということは、今から関内の「天下一品」に向かえば、瓶ビールとこってりラーメンを夜明け前に食べる、という最高の食事ができる…という最高に心地良い・至高の煩悩を思いつきます。しかし、幸か不幸か今日は休日ではない日(それは絶対に不幸だと思うのですが)…というわけで、その煩悩をなんとか振り払い、関内を過ぎ・伊勢佐木町を通り過ぎ・戸塚を過ぎて、鎌倉に向かいます。…そして、鎌倉の通りを過ぎ、ちょうど朝の5時少し前に、江の島に着きました。
三浦半島の向こうに登る太陽を感じつつ、「そーいや、朝日を見るために、眠さ100パーセントの体にムチを打ち、自転車に乗って出発したんだった…」と(すっかり忘れていた)当初の目的を思い出します。
「けれど、こんなに景色が綺麗なんだから、まぁ、いいや」と思いつつ、江ノ島を過ぎた辺りで、おもむろに180°ターンします。そして、帰路は「環状2号」を走り、「こんな走りにくくて、景色の移り変わりを楽しむことができない=楽しくない道なんて、2度と走るか」と思いつつ、4時間30分振りに(ようやく)帰宅したのが6時30分。
夏の朝には、1日が始まる前の空き時間に、(東京・横浜近郊に住んでいる人であれば)江ノ島まで行き・海を見て帰り・その後に普通の一日を始めることができます。
右上の写真は、横浜「赤レンガ倉庫前のメキシコ・フェア」で眺めた写真です。テキーラと横浜ビールが美味しそうで、けれど、飲めなくて残念・無念な景色…です。
2012-01-14[n年前へ]
■昔の横浜・東京がいつも夜霧に包まれていた「理由」とは?
「学生の可能性を可能にするポータルサイト ワンダーノーツ(Wonder Notes)」に「昔の横浜・東京がいつも夜霧に包まれていた「理由」とは?」を書きました。
最後に書いたのは「どんな時代に生まれたいですか?」という「質問」です。…誰も「どんな時代に生まれるか」を選ぶことはできないのですけれど、ね。
何十年も前、横浜や東京という街は、一年のうちのかなりの日数「霧」に覆われていました。 夜になると白い霧が、時に不気味に、あるいは、時にロマチックに街を覆い出す…横浜や東京という街は、そんな場所でした。 だから、昔の懐メロ(懐かしのメロディ)には「夜霧よ今夜も有難う」「東京夜霧」「夜霧の第二国道」といった、タイトルの歌が、多く残っています。 けれど、そんな「霧に覆われた街」を、最近は想像することが難しくなってしまいました。
東京や横浜の街を霧が頻繁に覆っていた昔の時代…東京や横浜から霧が消えてしまった今の時代…あなたは、どちらの街を生きたいと思いますか。どちらの時代が好きですか?
2013-12-21[n年前へ]
■東京から年々失われて行く「亜熱帯の蒸し暑さ」
1940年代から2012年までの、東京の季節折々の最高気温と湿度を眺めてみました。すると、最高気温はたいして変化がないけれど(下左グラフ:各軸はZ軸が気温(℃)で、XY軸が「年」と「月」です)、湿度は大きく変化していることがわかります(下右グラフ:各軸はZ軸が湿度(パーセント/100)で、XY軸が「年」と「月」です)。かつての東京は、夏前には湿度が70パーセント程度の蒸した気候だったのに、それが今では湿度の低い乾燥した気候になっていることがわかります。
梅雨の終わりから夏に掛けては蒸し暑いと感じることも多いですが、かつて東京に存在していた「亜熱帯の蒸し暑さ」はそんなものではなかったのか…と今更ながら気づかされます。昭和には蒸し暑かった東京は、夏はどこへ行ったのだろう?一体いつ頃、あの夏にさよならを言ったのだろう…と、年越し近い真冬の12月末の今頃に、ふと考えたりします。
2014-03-31[n年前へ]
■今も江戸が残る東京を辿る散歩や、カーネギーメロンな東工大でお花見をしよう!?
最近2014年4月の最近の「つぶやき」から。
「東京オリンピックによる大手町再開発計画でも平将門の首塚は避けて通る」の話で、平将門にまつわる場所は北斗七星の形で残ってるという話を思い出した。今度、歴史ミステリー散歩をしてみようかな。
東京に残る「平将門にまつわる北斗七星の形の史跡」で思い出したのが、東京の五色不動を探しつつ彷徨ってみたこと。あれは、もう15年も前なんだなぁ…。うぅ。
東工大@大岡山で花見をしてると、新入生が桜の花の下を(妙に狭い通り道を)歩いてる。…前にカーネギーメロン大のキャンパスを歩く新入生を見て(その服装が実にアキバな東工大@大岡山の学生みたいだ!)と思ったことを思い出した。何はともあれ…桜は綺麗でとてもいいな。
…小保方さんみたいな人をキライになれないことは絶対否定できないけれど、小保方さんに憧れを感じさせる人がいたら、それは少しマズイと思ってる。
一昨日、早稲田理工で眺めた「ワセダものづくりプログラム成果発表会」…これは欲しい!と思ったもののひとつが「アマノジャクー雨の日こそ外で遊ぼう!」…デイリーポータルZみたいだ!
2014-04-12[n年前へ]
■東京都立中学の「(学校毎の)通信簿=学生評価の違い」を眺めてみよう!?
「都内公立中学校第3学年(平成25年12月31日現在)の評定状況の調査結果について」という東京都立中学の「(学校毎の)通信簿=学生評価の違い」が面白かったので、東京都立中学564校の評価結果をグラフにして眺めてみました。これは「国語・社会・数学・理科・音楽・美術…」を順番に、各学校ごとに評価5から1まで並べてみたものです。
こうして眺めてみると、「評価3が一番多い」が基本ですが、学校によっては評価4が一番多い中学校があったり、その逆に、評価2が一番多い中学校もあったりします。高校入試に影響も与える中学校の通信簿、意外に大きい学校による違いは、どういう過程を経て生じているものなんでしょうか。