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2009-11-22[n年前へ]

「時間」は「辛い思い出も」「美しい思い出」も公平に消し去る 

 自転車に乗り小一時間ばかり走ると、古い家屋に囲まれた公園を見つけた。そこで、リュックから「硝子戸の中 (新潮文庫) 」を取り出して読みふける。

 彼女は、その美くしいものを宝石のごとく大事に永久彼女の胸の奥に抱きしめていたがった。不幸にして、その美くしいものは、とりも直さず彼女を死以上に苦しめる手傷そのものであった。二つのものは紙の裏表のごとく、とうてい引き離せないのである。
 私は彼女に向って、すべてを癒す「時」の流れにしたがってみなさい、と言った。彼女は、もしそうしたらこの大切な記憶がしだいに剥げていくだろう、と嘆いた。
 公平な「時」、大事な宝物を彼女の手から奪う代わりに、その傷口も次第に癒してくれるのである。

「硝子戸の中」 夏目漱石
 「時間」は「辛い思い出も」「美しい思い出」も公平に消し去っていく、という文章を読んだ後に、頁を閉じる。そして、多分、じきに忘れるだろう景色の中を自転車で走る。

2009-11-25[n年前へ]

馬鹿で人に騙されるか、疑い深くて人を容れることができないか 

 夏目漱石 「硝子戸の中 」から。

 今の私は、馬鹿で人に騙されるか、あるいは疑い深くて人を容れることができないか、この両方だけしかないような気がする。

 この文章の後に続くのは、「不安で、不透明で、不愉快で…」といったものだ。しかし、後者はともかくも、前者の互いに「馬鹿で騙されあう」の世の中は、意外に幸せなものではないだろうか。

 互いに、「自分が得をする」と思わなければ、物の売り買いだって成り立ちそうにないし、ワイワイガヤガヤの賭けごとなんていうものも、あり得ない世界になってしまうだろう。それは味気なく、実につまらない世界に違いない。

 そして何より、互いに馬鹿で騙されあう毎日・世界だなんて、言葉にしただけで、とても楽しそうではないか。



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