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2010-09-26[n年前へ]

田村淳の「試行錯誤」  share on Tumblr 

 「ロンブー淳さんが休日にゆるーくやってるネット番組について本人インタビュー」から。

 「これやっちゃだめなんじゃないか?」「ここまでやったらやり過ぎなんじゃないか?」って自主規制をかける感覚がものすごく嫌で。それとっぱらうにはどうしたらいいんだろうなぁと考えているうちに、“失敗できる場所”があったらいいんじゃないかというところに思い至ったんです。

2010-10-04[n年前へ]

テレビにケータイかざして情報入手――KDDIの「“smARt”テレビ視聴」  share on Tumblr 

 テレビにケータイかざして情報入手――KDDIの「“smARt”テレビ視聴」

 CEATEC JAPAN 2010でKDDIは、テレビ画面にケータイカメラをかざすことで商品の詳細などが表示されるサービス「“smARt”テレビ視聴」を参考出展している。画像認識技術でテレビ画面の特徴的要素を検知し、番組に関連した情報や商品サイトを表示するというものだ。

 かつては、ARのような画像付加技術はとても人工的に感じられたこともあります。けれど、写真という「真を写す」ものを実現するためには、もはやかつてはAR と呼ばれたような技術が必須になるようにも感じられます。ありとあらゆる情報処理が行われて、はじめて、「真を写す」ことができるようにも思われるのです。

2011-05-30[n年前へ]

テレビ画面に「ビジュアル系」ツッコみをしてみよう!?  share on Tumblr 

 テレビを眺めつつ、思わず「なんでやねん!」「そんなわけあるかい!」とツッコミを入れてしまう人も多いと思います。今日のテーマは、テレビにツッコムなら、「ビジュアル系」のツッコみを入れてみよう!?というものです。

 テレビは「画(え)の文化」を具現化したものです。ラヂオのような「声で物語られる世界でなく、画像で描かれる世界」です。そんな世界に、声でツッコミを入れるのは、無粋でもありますし・間抜けでもあります。…そういう思いをベースにして、テレビにツッコミを入れたくなるときには、私はいつも「ビジュアル系」ツッコみを入れることにしています。

 TVに写る現代の政治家を見て、時代劇で「悪代官」を連想したら、連想したことを手元のホワイトボードに書き込んで、テレビ画面に重ねてみます。たとえば、TV番組を見るときには、いつも持ち歩いている「吹き出し型」のプレゼンボードを使い、下の画像のようなツッコミをTV画面に重ねて入れたりします。

 あるいは、音楽番組を見ながら脳裏に浮かんだことを、テキトーにホワイトボードに書き込んで、やはり、記念撮影をしてみたりします。それは、たとえば、右の写真のような具合です。

 冷静に眺めてみると実にクダラないものばかりですが、色んなツッコミ写真が手元にあります。飲み屋で赤い酔目をした人たちに重ねた「吹き出し」や、無生物の鉄筋建造物に重ねた「吹き出し」や、散歩する犬や猫の口元に「吹き出し」を重ねた写真が、数多く溜まっています。

 こんなラクガキをするのなら、一体どんなセリフを書き込みたくなるでしょうか? 含蓄ある言葉、ナンセンスなギャグ、あるいは…世相を反映した言葉、どんな言葉を書き込みたくなりますか?

テレビ番組に対して「ビジュアル系」ツッコみをしてみよう!?テレビ番組に対して「ビジュアル系」ツッコみをしてみよう!?






2011-10-15[n年前へ]

「原子力防災」著者 松野元さんがテレビ番組で語ること  share on Tumblr 

 今年の3月、「知識を得た上でどうすべきかを各人が判断する」というバイアスで「災いを防ぐ=防災」ということを考えるなら、それが「原子力」というものに関してであるのなら「原子力防災―原子力リスクすべてと正しく向き合うために 」という本を、まずは読んでみるのが一番良いように思う、と書きました。

 この本が「考える」ために「一番良い」理由は、関連事項について広く・深くデータを示しつつ、データの意味を具体的に定量的にわかりやすく説明しているからです。エネルギーの必要性から、関連事項を理解するのに必要な科学知識や、各種リスク評価…、本のタイトルからは想像できないくらい非常に広い範囲のことが書かれています。
 著者(松野元)がこだわり続けているのが、こんな考え方(バイアス)であるように思えます。『(原子力災害が発生した場合)住民は、関係者に十分な情報を要求し、専門家の意見を聞いて、最終的に他人任せでない決断を自らが選択しなければならない』

 この本の著者である松野元さんを中心に置いた、「原子力防災」についてのテレビ番組(NHKドキュメンタリーWAVE 伊方原発 問われる“安全神話)を見ました。

 (福島原発事故が起こって以来)自問自答を繰り返している。
 自分の人生を掛けてやってきたのに、あの福島の事故を抑えるような原子力の体制にできなかったことを、 悔しさというか残念だというか、私のできる範囲で償いというか・・・償えるかどうかわからないけれど、何かお役に立ちたい。
 50分弱ほどの番組ですが、松野さんがゆっくりと話す言葉に耳を傾けていくうちに、(戦後の日本にはとても重く響く)こんな言葉で終わる最終シーンまで、すぐ辿り着いてしまうと思います。
(エネルギー自給ということが)私の夢だったし、日本の夢でもあった。エネルギーに困らなければ、おそらく、食料にも困らない。
 (原子力で手に入れようとする)大きなメリットの後ろには、大きなリスクがある。原子力防災は「(事故になりうることが必ず)起きる」として考えるべきで、そのための備えが必要だということです。
 そして、ここから先は、私(松野)の気持ちだけかもしれないが・・・、準備をしておけば事故はないかもしれない。それが本当の願いです。
 松野さんが技術者として語る言葉を聞きながら、その言葉を出すまでの「(たとえば”安全”という”永遠に辿り着くことができない目標”に対する)考え方*」を理解しようとしてみたくなります。
*この番組中で松野さんが語る言葉には、 柴田 俊一さんがマーフィーの法則「信頼工学版」第3法則 "You can't win-you can't break even- you can't even quit the game."をひきつつ書いた言葉を重ねつつ聞くと、とてもわかりやすく自然に響くかもしれない、と思います。
 安全確保はゲームに例えて言えば、勝てない・引き分けもない・棄権もできない、というものである。つまりその仕事に就いた人は、絶えず努力をする必要があり、しかもそれでもなお永久に「絶対」という段階には到達できない。


20111001 伊方原発 問われる“安全神話” 投稿者 PMG5


NHKドキュメンタリーWAVE 伊方原発 問われる“安全神話
 “フクシマ”によって崩壊することになった原発の安全神話。その神話が形作られていくきっかけとなったのが、四国電力の伊方原子力発電所の安全性を巡って 30年近く争われた裁判である。当時、四国電力で原発設置を担当したある技術者(松野元)は、裁判後、徐々に社内で蔓延していく「絶対安全」に対して、異論を訴えたが黙殺され続けてきた。裁判資料を読み解くと、地震のリスクなど専門家の調査結果が無視されている部分も多い。第2のフクシマは防ぎたいと、今でも原発の危険性を訴える技術者の思いを軸に、現在でも“安全神話”が続く原子力発電の現場を見つめる。



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