2005-08-12[n年前へ]
■「漫画のスキマ」
菅野博之 著の「漫画のスキマ」を買う。冒頭の1ページ目にマンガで、「この本のメインテーマは視線誘導です」と書かれている。マンガの具体例を出しながら、150ページにわたり「視線誘導」に関する技術や背景や理論が述べられている。
私はマンガを書いたりはしないし、さほどマンガを読むことはない。それでも、とても面白かった。媒体が何であれ、人に眺めさせるものを作ろうとする人は必見だと思う。
2005-08-17[n年前へ]
■おとなりページの変遷
自分のサイトのはてなアンテナのおとなりページがどのように変わったかを眺め、「テキスト・サイトがずらりと並んでいたものが、ブログばかりになっている。何が変わったのかといえば、私の文章の書き方が変わったのでしょう」と書く「見事にツールに飲み込まれたな、と思う」
変わったのは他の書き手も同じかもしれない。つまりは、テキスト・サイトを書く人が減っているだけかもしれない。あるいは、もしかしたら、読者自体が変わっているということもあるかもしれない。ちなみに、右のサムネイルはhirax.netとinside outのおとなりページ。
2005-11-11[n年前へ]
■今日のお遊びプレゼンテーション
来春辺りに「テクニカル・プレゼンテーションの本」を出す予定にしています。自然な視線の流れを意識するのはとても大切だと思うわけです。また、そういう風にするためには、内容を完全に把握して整理していることが必要です。そんな辺りのコツを書きたい、と思っています。もちろん、それと同時に楽しめるものにしたいところです。
さて、それとは全く関係ないのですが、昨夜ささっと(遊びで)9ページほどのPowerPoint資料を作ってみました。内容は「社内 中年ブログ炎上事件」の関係者でないと、面白く楽しむことができないので横に置いておきます。とにかく、その資料中から(ほんの一部ではありますが)3ページほどをここに抜粋してみます。ちなみに、「起承転結」の「承」部分です。何かの参考になる!?かも…しれませんし。(絶対ならない)
2005-12-11[n年前へ]
■沼津
昨日締め切りの論文原稿をひたすら書く。夜、ジムの露天風呂に入って帰る途中に夜空に浮かぶ花火をみかかえる。…まだまだ、論文をひたすら書く。…というわけで、今日の景色もn年前から。
とりあえず、今日書いた論文は日本画像学会誌の来年2月号くらいに掲載予定。20ページ弱の(ページ数と図版数だけは)大作かも…。"inside out"も登場?してるあたりが楽しめるかも。
2005-12-28[n年前へ]
■「自分の居場所とは、どこなのか」
電車に乗る前にはいつも本を買う。電車の中で景色を眺めつつ本を読んで、気に入った一節があればそのページを破りとってポケットに入れて、電車から降りると同時にその本をゴミ箱に捨てる。そして、ポケットに入れたページは後で何度も読み直す。
目が回るほど、けれど首は全然回らないくらいに忙しかったここ数週間の間に、破りとったページが何枚も溜まっていた。その何枚かのページを少し書き写してみることにしよう。まずは、「インターネットではリンクされない方が悲しい、と書くような人たち」をふと思い浮かべた中村うさぎの「オヤジどもよ!」から。
隣にオヤジの二人連れが座り、片方のオヤジがもう一方に説教こいてるのが聞こえてきた。「これからの時代はさー、英語とコンピュータだよ。…できないと、置いてかれちゃうよ〜」「置いてかれる?誰に?そして、どこに?」とこのオヤジたちにツッコミを入れる中村うさぎはさらに書く。
人々は「嫌われる」コトよりも「無視される」コトのほうを恐れるようになった。…(ネガティブな形で存在を認められる「嫌われること」よりも)恐ろしいのは、他人から「そこにいない者」として扱われるコト。時代に取り残され、人々に取り残され、どこにも居場所がなく、誰の目にも映らない。それこそが現代人のもっとも恐れる「自分像」なのである。こういう人たちはきっと「金持ち父さん貧乏父さん」を読んだりするのだろう、と笑いながら「アホや。アホやがな。時代や社会に取り残されたからって、それが何やねん」と中村うさぎはさらにツッコミを入れる。そして、こう書く。
人を支えるのは、人間関係だ。人間関係の不得手な者は、たとえ英語ができてもコンピュータができても、自分の居場所のない殺伐とした人生を送るハメになる。ところが、我々は「時代や社会におけるポジション」を「自分の居場所」と勘違いして、技能や知識や情報ばかりを追い求めて奔走し……そろそろ、「社会でのポジション」と「自分の居場所」は違うのだ、というコトを、きちんと子どもたちに教えられる大人が現れてもいいはずだ。