2004-10-07[n年前へ]
■「プチ整形」@中村うさぎ
週刊文春の「さすらいの女王」で中村うさぎが「三ヶ月で薬の効果が切れてしまう」プチ整形について書いている。「(若さに執着し続けるか否かの)選択の自由」と「(選択に伴う)自己責任」を、三ヶ月おきに突きつけられるのがプチ整形だと言う。
「若さと引き替えに、自らの欲望の重荷を、これからも背負っていく覚悟はあって?」「もちろんよ。それが私の選んだ生き方だから」
2004-11-13[n年前へ]
■中村うさぎの秤
放射線治療と抗がん剤治療は受けない。「生きること」への執着と「見た目の美しさ」への執着を秤にかけると、(私の)秤は後者にぐっと傾くのだ。…自分の秤がそう言うのだから仕方ない。 中村うさぎ 「さすらいの女王」
2005-03-18[n年前へ]
■女と男の「関係がうまくいってないとき」
自分と世界の関係がうまくいってないと感じた時、女は自分を変えようとし、男は世界を変えようとする「世界」を「恋人」に入れ替えると…、なるほどそれっぽいかも。では、「仕事」に入れ替えると…、うーんしっくりこないかもしれない。じゃぁ、他の言葉に入れ替えてみると、どんな感じになるだろう。
2005-12-09[n年前へ]
■「女は生きにくい」
女王様(私)はオヤジと呼ばれる抑圧的な男たちが大嫌いで、ずっと彼らを憎んでいたのだが、彼らを憎むと同時に己の女性性も憎んでおり、これでは敵であるオヤジどもと同類なのであった。女王様が和解すべきは、オヤジどもよりも先に…中村うさぎ 「女は生きにくい」 週刊文春
2005-12-28[n年前へ]
■「自分の居場所とは、どこなのか」
電車に乗る前にはいつも本を買う。電車の中で景色を眺めつつ本を読んで、気に入った一節があればそのページを破りとってポケットに入れて、電車から降りると同時にその本をゴミ箱に捨てる。そして、ポケットに入れたページは後で何度も読み直す。
目が回るほど、けれど首は全然回らないくらいに忙しかったここ数週間の間に、破りとったページが何枚も溜まっていた。その何枚かのページを少し書き写してみることにしよう。まずは、「インターネットではリンクされない方が悲しい、と書くような人たち」をふと思い浮かべた中村うさぎの「オヤジどもよ!」から。
隣にオヤジの二人連れが座り、片方のオヤジがもう一方に説教こいてるのが聞こえてきた。「これからの時代はさー、英語とコンピュータだよ。…できないと、置いてかれちゃうよ〜」「置いてかれる?誰に?そして、どこに?」とこのオヤジたちにツッコミを入れる中村うさぎはさらに書く。
人々は「嫌われる」コトよりも「無視される」コトのほうを恐れるようになった。…(ネガティブな形で存在を認められる「嫌われること」よりも)恐ろしいのは、他人から「そこにいない者」として扱われるコト。時代に取り残され、人々に取り残され、どこにも居場所がなく、誰の目にも映らない。それこそが現代人のもっとも恐れる「自分像」なのである。こういう人たちはきっと「金持ち父さん貧乏父さん」を読んだりするのだろう、と笑いながら「アホや。アホやがな。時代や社会に取り残されたからって、それが何やねん」と中村うさぎはさらにツッコミを入れる。そして、こう書く。
人を支えるのは、人間関係だ。人間関係の不得手な者は、たとえ英語ができてもコンピュータができても、自分の居場所のない殺伐とした人生を送るハメになる。ところが、我々は「時代や社会におけるポジション」を「自分の居場所」と勘違いして、技能や知識や情報ばかりを追い求めて奔走し……そろそろ、「社会でのポジション」と「自分の居場所」は違うのだ、というコトを、きちんと子どもたちに教えられる大人が現れてもいいはずだ。
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