2010-02-28[n年前へ]
■「嘘」と「外面」という「阿吽像」
中町綾子「ニッポンのテレビドラマ 21の名セリフ 」の、向田邦子脚本に関する「じょうずな嘘」の項から。
「生まれてはじめて嘘をつきました。一番大事なことは、人に言わないということが判りました。言わない方が、甘く、甘酸っぱく素敵なことが判りました。
「あ・うん」 第四回 さと子の台詞から
向田邦子は嘘を描いた人である。向田邦子を愛する人は、その嘘を嘘と知りつつ好んでいるような気がする。それは、たとえば、久世光彦である。
小説版「寺内貫太郎一家」の解説で、演出の久世光彦は向田邦子のことを嘘のうまい人と言っている。そういう向田邦子の嘘を感じつつ、憧れる人の気持ちは、わかるように思う。あるいは、久世光彦が書く言葉なら、それは、とても頷けるような気がする。嘘を感じた上で、それに頷きつつ、憧れる人の気持ちなら、わかるような気がする。
「嘘を上手につく人でした。実際にあったことを人に伝えるとき、いやな部分は捨て不愉快な台詞は愛嬌のあるものに書き直し、舞台装置や衣装も心楽しいものに作り変えて話すことを嘘つきというのなら、向田さんは大変な嘘つきでした。一日の大半は嘘をついて暮らしていました。夢のある嘘をついて、心痛むことの多い人生を楽しくしようとしていました」
「笑(わら)いばなし」にゃ、できないのかい。向田邦子の「入口」は「嘘」と「外面」である。その二つの阿吽像を過ぎた先こそが、向田邦子の魅力だと思う。
「寺内貫太郎一家」 祖母きんの台詞から。
2010-08-27[n年前へ]
■「人はそうそう思っていることをしゃべれないものだ」
中町綾子 「ニッポンのテレビドラマ 21の名セリフ」の向田邦子「寺内貫太郎一家」に関する解説から。
「嘘を上手につく人でした。実際にあったことを人に伝えるとき、いやな部分は捨て不愉快な台詞は愛嬌のあるものに書き直し、舞台衣装や衣装も心楽しいものに作りかえて話すことを嘘つきというのなら、向田さんは大変な嘘つきでした。一日の大半は嘘をついて暮らしていました。夢のある嘘をついて、心痛むことの多い人生を楽しくしようとしていました。
久世光彦 小説版「寺内貫太郎一家」解説
それにしても、この懐中電灯の場面はドラマ史に残る名シーンだ。暗闇にタイミングよく浮かび上がる家族一人一人の顔…しかし、そんな風に言いたいことがあったら言えと言われても、いざしゃべるとなるとそううまくはしゃべれない。このシーンには、…人はそうそう思っていることをしゃべれないものだということがすべて表現される。そんな「作りばなし」、寺内貫太郎一家の停電のシーンのラストから。
中町綾子 ニッポンのテレビドラマ 21の名セリフ 「じょうずな嘘」
「笑いばなしには、できないのかい?」
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