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2011-10-26[n年前へ]

「戦隊と変態」「専門バカ」「腰巻きと取り巻き」「原子力とバクチ」など 

 最近書き留めた「走り書き」から。

 ハロウィンで仮装をした人たちが街に溢れてる。「仮装」と言うより、プロのお仕事らしき「戦隊ヒーロー」を眺めていると、後ろで女性の声がした。『戦隊(せんたい)と変態(へんたい)って紙一重よね』……蜂の一刺しレベルの至言である。

戦隊(せんたい)と変態(へんたい)って紙一重

 「専門家」は「専門」家だからこそ素晴らしく、つまりは、専門バカということに価値がある、と思うこともある。その人(集団)の状況・価値観・状況によって異なる「バランス・政治」の話を、「専門」の中に混ぜる人は専門家ではないように思われる。
 もちろん、専門バカという言葉が示すように、全体を眺めてみれば「専門家」が言うことは多くの場合「的外れ」でもあるのだろう。

専門バカとバランス

 「ジョブス伝記」の日本語版に腰巻き(帯)が付けられていることを良しとしない人が多いようだ。日本では帯を付けた方が本が売れるように思う。だから、これは実に適切なローカリゼーションであるように思う。

 この話は、結局のところ「この本(伝記)」の目的が何なのかということであるこの"Steve Jobs" という本が、「自分(被写体)満足のためのナルスティックなプリクラ写真」であるなら、腰巻き(帯)を付けたことは(もし被写体がそれを望まないならば)非難されることだろう。

 しかし、もしこの本が「Steve Jobsという人生を人に伝える」ことが目的であるならば、日本では「(本に)腰巻き(帯)をつけるべきだ」と思う。その方が、日本の書店では、数多くの人が本を手に取り・本を買い・その本を読むだろう、と私は考える。この「本の存在意義・目的」は何だろうか。

 日本では普通ののこの本に対して「デザインうんぬん」と言う人たちの言葉の後ろには、どんなものが横たわっているのだろう?

「腰巻き」と「取り巻き」は少し似てる

 国土が狭い日本では、原発は『はじけた時の「負け分」が大き過ぎる』のだろう、と思う。たとえて言うなら、賭け事では「資金量が勝負のほぼすべてを決める」ようなものだ。懐豊かであれば、少し負けても次のお金を積めさえすれば良いが、手持ち資金が少なければ、そういうわけにはいかない。一回でも負けた時点で、そこで「ゲーム」は終わる。

 しかし、それと同時に、『懐が豊かでないからこそ、「賭け」たくなる』ということもあるだろう、と思う。だからこそ、年末ジャンボ宝くじを私たちは買い、原子力に夢を見たのだろう。『(エネルギー自給が)日本の夢だった。エネルギーに困らなければ、食料にも困らない』という言葉、「食料にも困らない」という言葉は戦後直後の日本を思い起こせば、実に切実な言葉である。

原子力とバクチ

2012-01-19[n年前へ]

「門」の中にいる「だけ」の専門家 

 さすが(無料で購読できるにも関わらず、最高のグラフである)「GRAPHICATION」だ。「特集 3・11以後の知を考える 2012 No.179」を読み、あれから一年近く経って、ようやく「こういうものを読みたかった」という 本物に出会えたような心地になる。

 まずは、冒頭の「対談・知の交差点 いま、科学と専門家に何が求めれているか (赤木昭夫・中村桂子)」から。

 門とは、要するに囲われた特殊なもののことで、その一つのことを専(もっぱ)らするのが専門家になるわけです。…実は「自分はたった一つのことしかやっていません」ということなんです。
 要するに専門という門の中に入ると、門の中には掟があるんです。それを守らなくては門の中にいられない。そこで門の中で掟を守っているうちに、その掟がすべてを尽くしている。…そのために、専門家というのは、非常に気をつけていないと、専門家になればなるほどどんどん狭くなっていく悪循環に陥ってしまう。

 いや、考えてみれば、「ようやく」じゃない。インスタントラーメンじゃあるまいし、丁寧な料理が「すぐに出てくる」わけもない。「ようやく」と感じてしまう近視眼的な視点を、直すメガネをかけることにしよう。



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