2005-12-30[n年前へ]
■「個人主義」の前提
まだまだ続く「破り取ってポケットに入れたページ」の一枚が、「名将ファイル 秋山好古・真之」
「個人主義」の前提は、「人間は強く賢明かつ無欲で勇敢」と考えることである。しかし、日本軍は「人間は弱く、はかなく、欲張りで怖がり」との認識のもとに日清・日露戦争の間に戦友システムや将校の原隊制度を定着させた。この考え方は、日本社会に「仲間主義」を植えつけ、国力発展に大きく寄与することになったのだ。
2006-08-18[n年前へ]
■「新聞記者は戦争を始めることができる」@「オシムの言葉」
言葉は極めて重要だ。そして銃器のように危険でもある。私は記者を観察している。このメディアは正しい質問をしているのか。…そうでないのか。新聞記者は戦争を始めることができる。意図を持てば世の中を危険な方向に導けるのだから。ユーゴの戦争だってそこから始まった部分がある。
2007-12-15[n年前へ]
■「国の歴史」と「家系図」
知人に「世界史の授業・講義の中で、中世ヨーロッパの歴史について何を教わるか」を聞いた。すると「戦争と結婚ですね」と言った。「(かつて習った中世ヨーロッパの世界史」を思い出すと)中世ヨーロッパの歴史(を学んだ授業の印象)は、国と国の間の戦争、国王家と国王家の間の結婚に尽きる」印象があるという。
「重要なイベントが戦争と結婚なら、中世ヨーロッパの世界史年表は、ほとんど家系図みたいな感じになるんですね?」と問い返しながら、それも一つの「当たり前の法則」なんだな、と納得した。国が一つになったり、あるいは、消えたりするイベントは、確かに戦争か王家の結婚くらいしかなさそうだ。それ以外のイベント、例えば、何らかの状況の変化で国が新たに出現するといいったことは、それほど頻度が高いことではないに違いない。
そんなことを考えながら、現代の家系図は一体どうなっているんだろうか?とふと思い「近現代・系図ワールド」を眺めてみた。すると、これが結構面白い。「白洲次郎」なんか、まるで現代歴史ミステリーの中の家系図のようだ。
2010-01-02[n年前へ]
■ことを見つめるのは人である。
最近、「鳥」について書くことが多かった。「ドナドナ」の歌詞中に登場する燕や、サイモン&ガーファンクルの「コンドルは飛んでいく」のスズメや、あるいは、北村薫「鷺と雪 」のサギなど、不思議に、鳥についての話をタイプすることが多かったような気がする。ーそういう一見偶然に見えることというのは、実際のところよくあることだと思う。なぜなら、それは本当のところは偶然でなくて、必然のことだからではないか、と思うからだ。直接の因果関係はなくとも、それらは同じようなものだと思うからだ。
(チャップリンの映画をひいた)「街の灯 (文春文庫) 」に始まり、「鷺と雪」に終わる北村薫が書いた三冊は、五・一五事件を背景にする年に始まり、二・二六事件のその日のある「一瞬」で頁が閉じられる小説である。
第1作目の「街の灯」は、9.11のちょうど次の年9月、2002年9月に発表されたもので、つまり、「イラク戦争」が開始される前の年に書かれたものである。そして、イラク戦争が続く2005年から2006年にかけて書かれた、第2作目の「玻璃の天 (文春文庫) 」中の言葉が次の言葉である。
「…今日のお話はいかがでしたか」今現在の瞬間のメディアをみた後の感想だと言われても、何の違和感もないフレイズだ。
「思想的というより、いささか感情的なものに思えました。わたくしは、もう少し、数字などを挙げ、納得させてくれるものー日本の現状改善に、具体的な手掛かりを与えてくれるものを期待していました」
直木賞受賞をきっかけとしたインタビューで、インタビュアの次のような問いかけに対して、
今日の晩ご飯も明日の仕事も大切だけど、うかうかしてると、国そのものが取り返しのつかない方向へ進んでしまい、そこに巻き込まれてしまう、と。北村薫が答えた内容は、次の通りである。
私たちは普通に、日々、日常生活を続けていると思っています。でも、いつものように道の曲がり角を曲がってみたら、とんでもないことが起きていた、なんてことがあるように。案外知らず知らずのうちに、歴史の大事件に巻き込まれていたということは、いつでも起こりうるものだと思うんです。現在だって、国を揺るがすような大事件の曲がり角を曲がっている最中で、何ヶ月も経った後に始めてそのことに気がつく、という事態だってありえますから。
北村薫「鷺と雪」のたくさんの参考文献の最後に、ただ一文のあとがきのように書かれた一段、を書き写してみる。
ことを見つめるのは人である。これらの様々な出来事の中に、登場人物たちはいた。これらの小説群を、昭和初期の物語とだけ読むのは「間違い」である。
2010-05-07[n年前へ]
■上岡龍太郎の「理」と「情」
「探偵ナイトスクープ」から。
関西には、「探偵ナイトスクープ」という人気番組がある。(中略)'93年2月のある週の放送だった。事情があって道端に放置されている二宮尊徳の銅像があるのだが、それをきちんととしたところに再び置かれるようにしてもらいたい、との依頼が番組に送られてきたのである。
学校をいくつか回るのだが、どの学校にも断られる。トミーズ雅が不思議に思い、ある学校の校長に尋ねたところ、二宮尊徳は、「お国のため」というような思想が強制された戦前・戦時中の教育のシンボルであり、そのような悪用・悪影響の心配があるので、学校で引き取ることは出来ないのだ、と説明される。
結局、どの学校にも断られるのだが、大阪市内のある保育園が引き取ってくれることになる。じつはこの保育園には、すでに一体の二宮尊徳像があったのだが、もう一体置くということにしたわけだ。依頼者のおばあさんも大変喜び、これで一応番組的には「一見落着」という感じなのだが、ところがスタジオの場面に切り替わると、上岡局長が、「探偵」の行動に苦言を呈する。なぜ学校などの教育施設に置くことにこだわったのか。放置されて路傍に置かれているときでも、すでに賽銭のようなものが供えられていたという。それなら、商店街とか、個人の庭に置いてもらうという方法もあり、そうすれば、ずっとスムーズにいったのではないか。
上岡は、おそらく彼個人の考えと感覚にもとづいて、この番組の作られる方針、そして視聴者に訴えたであろう「情」の部分に疑いを示し、彼一流の口調で切り捨てたのである。
自分が信じる「理」にしたがって、テレビ的に作られる「情」を拒み断罪する。上岡龍太郎は、それが出来る芸人だった。おそらく上岡は、あの学校長の形式的な態度などは、もっとも嫌った人であろうが、そのことと、彼自身の考えや感覚にもとづいて何を信じるかということ、またテレビが強いてくる(大衆的と称されるような)「情」への安易な協力・同調を拒むこととは、また別のことがらだった、ということだろう。