hirax.net::Keywords::「技術開発」のブログ



2003-03-08[n年前へ]

映画館での海賊版撮影を撃退する技術開発 

 映画の中に観客に見えないような時間だけノイズを混入させ続けたりしたら、それってサブリミナル広告(それが実証されているかはさておき)そのものじゃないだろうか?いや、広告じゃなくてノイズだからサブリミナルノイズというべきか。

 その映画を見た人が無意識のうちにのノイジーな気分になったりして。   from Graphic Wizard's Layer

2003-07-16[n年前へ]

ナムコ,三次元立体画像を自然再生する技術開発  

 「遠山式立体表示法」ってどんなもの?

2003-08-25[n年前へ]

RFIDの… 

 一連の「RFIDの…反応」を眺めていた頃、考えていたことを書いてみる。といっても、あまりにも当たり前のことなのでわざわざ書く程のことではないと思うのだけれど、自分の仕事も少し振り返りつつ、ちょっとだけ書いてみる。

 技術開発の最初の頃は「良いところ」に目が向くことが多いと思う。「良いところ」を拾い上げて、「良いところを大きくしていく」仕事が多かったりする。「良い条件」があればそれを追求していく仕事が多いようにも思う。「良いところだけを見る」作業だ。それを「楽観的」な作業だと思う人も多いに違いない。

 ところが、それが製品化され発売が見えてくる頃には、「悪いところ」だけを拾い上げてそれを潰し続ける作業が続くに違いないと思う。「悪い条件」があればそれを(解決するために)ただただ追求していく仕事が多いと思う。こちらの方は「悪いところだけを見る」作業だ。それを「悲観的」な作業だと思う人もいるかもしれない。

 前者も後者も新技術が普及していくためには必要だと私はそう思うし、そう思いたい。

 そしてまた、とってもシンプルに「手を動かしている人が一番エライ(「偉い」だけでなく、関西弁の「えらい」の意味も加えて)」というのが技術の世界の素晴らしいところでもあると思ったりするのである。

2011-09-02[n年前へ]

明日は明日の風が吹く - Tomorrow is another day. 

 今日、30分ほどの話をする機会がありました。話す内容を何も考えていなかったので、早朝起きて話のアウトラインを描き・PowerPointスライドをテキトーに作り、実に情けない突貫工事状態で話をしてしまいました。

 話した内容のうち「終盤(クロージング)」部分を、話した流れを自分で忘れてしまわないよう(話しつつ見せたデモなどは割愛しましたが)ここにメモしておこうと思います。


 …こういったこと、「キャラクター」「シナリオ」「数打つ」と3つのことが、(先ほどまでの例とはまったく違うジャンルではありますが)新しい技術を見つけ・選び出し・生み出すということを考える上でも、やはり大切なのだろう、と私は考えます。 自分たちの”違い”・個性・特徴・ポジションを生かさなければ、「他の人たちでなく自分たちこそができる」という状況にはなりえないでしょう。 また、「道筋・ストーリー・ゴールへの台本」なくしては、長いこと・大きなものを作り出すことは不可能だと思います。 そんな台本なんてない、という人もいるかもしれませんが、そんな人の頭の中には、それがたとえ無意識下にせよ「台本・予想図」があるはずだ、と私は確信します。 そして、数打つこと、つまり、「たくさん手にする」ことが不可欠です。 数打たなければ、アタらないのです。

 未来は、未来になってみないと「どうなるか」なんてわかりません。 不確実なものが未来です。 予想的中の明日で (^_^)v ということもあれば、予想した通りの残念な明日でやっぱり (>_<) ということもあると思います。 あるいは、考えもしなかった落とし穴が待ち受けていて (T_T) となるかもしれないし、はたまた、思いもしなかったプレゼントがあり (^o^) となっているのかもしれません。

 未来は、予想の「アタリ」と「ハズレ」をかき混ぜたカクテルです。 しかも、その「アタリ」がほんの少しの時間を経ただけで、いつの間にやら「ハズレ」に姿を変えてしまったりもします。 その逆に、「ハズレ」馬券だったはずの紙切れが、気づくと「万馬券」に変身していたりもするのです。 つまり、「アタリ」と「ハズレ」は時に互いを入れ替え合う存在で、それらが入り交じっているのが未来だと思います。

 だから、そんな未来への「宝くじ」はたくさんたくさん集めるべきだ、数打つべきだ、と強く言いたいのです。 たくさん集めさえすれば、その中には「アタリになるもの」が必ず混じっているものです。 そのアタリがいつまでアタリであり続けるかはわからないけれど、少なくともある一瞬にはアタリになるはずのものが、掌(てのひら)の中に確かに入っているはずです。 だから、「キャラクター」や「シナリオ」を見つけ出しながら「数打つ」ことをしていさえすれば「いつかはアタる」と安心して良いに違いない、と信じています。

 さて、冒頭で引いた(5,6年前にオープンソースマガジンのために書いた)記事の続きには、こんな文章が書かれていました。

 「自分のための勉強ノート」ですから、いつでも私は「自分がやりたい」勉強をしていました、と言いたいところですが、そういうわけではありませんでした。 なぜかと言うと、それは「自分のやりたいこと(勉強したいこと)」はこれだ、と自分でハッキリわかっていなかったからです。 だから、その瞬間その瞬間の、好奇心の赴くままに、目の前の謎・パズルを(その秘密を解き明かすことができそうな科学技術を勉強しつつ)、楽しみながら考える、ということをやっていただけです。 そんなことを長く続けているうちに、自分のやりたいこと、「何だかおもしろく楽しくなる科学技術」という方向性がようやく見えてきたというのが本当のところです。

 私のように、「自分のしたいこと」を自分自身でもよくわからないという方も多いと思います。 そんな人(時)は、とりあえず何でもいいから続けてみるのもコツだったりするのかもしれません。 そうすれば、「将来長い時間をかけて自分がやりたいこと」も浮かび上がってくるだろうし、そういった「将来・現在やりたいこと」が「これまでにやったこと」と繋がってくることも多いと思うのです。
 数字がバラバラに並んでいて、1から2へ線を結び、2から3へ線を引き、さらに次の数字へと鉛筆の芯を走らせていると次第に「一枚の絵」が浮かび上がってくる、というパズルがあります。 "Connecting the Dot"と呼ばれるこのパズルと同じようなことが、新しい技術を追いかける人たちにとってもある、つまり、新しい技術を追いかけ続ける日々も、そんな"Connecting the Dot"な毎日なのかもしれません。

 何をしたら良いかを見つけ出すのが難しい、選んだものが何か形になりうるのかどうか悩む、…きっとそんなことを考えたことがあるのではないでしょうか。

 てんでバラバラに見えても、さまい続けているように思えても、色々と続けていたら最後に何か浮かび上がってきたりするかもしれない、そういうことがあるものだということを、自分自身の経験から私は信じています。 たくさんの「点・ドット」を通過し線を引いていくうちに、いつの間にやら、”偶然"か"必然"かよくわからないままに、それらが繋がり・何かが浮かび上がってきたりするのです。


 今日、お話したかったことは2つありました。 (冒頭で冗談交じりに話した)1番目は本の宣伝でしたが、2番目はこんな感じのおぼろげなことです。 閉塞感がある、先が見えない、風通しが悪い…そんなことに悩む研究開発を続ける人たちに向け30分程度の話をして欲しいと言われた時、「引き受けたは良いけれど、何を話せば良いかわからなかった」というのが正直なところです。 そこで、どんなことをとりとめのない話をしても矛盾しなさそうな「題目」を、とりあえず、メールで送信してしまいました。 それが、今日の題目、
「明日は明日の風が吹く」 "Tomorrow is another day."
です。予想もしなかったことですが、意外にこの言葉が何かの答えだったのかもしれない、と今は思います。

 ガラクタのような話の中から何かの役に立つところを見つけ出して下されば、心から幸いです。 ありがとうございました。



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