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2003-05-01[n年前へ]

今日見た夕暮れ(と) 

 全然写真とは関係無いけれど、少し心に浮かんだことを書いてみる。

 「○×で議論ができるか?」というたまにみかける話題である。もちろん、○×は「Wiki」でも「WEB日記」でも「Blog」でも「はてなダイアリ」でも何であっても良いのである。とにかく、そんな「○×で議論ができるか?」という言葉を見るたびに、「○×で議論ができるか?」ということよりも、「○×は(それを題材にして)議論ができるか?」ということの方が気になる。議論をするための「場」でもなく「道具」でもなく、その題材自体が「議論」しうるものなのかが気になることが多い。

 絶対的な「審判」、例えば「自然」であったり、がいないような題材でどのように議論を判断・終結させていくのかは、その「議論」の道具が何であったとしても難しいことだと思うし、きっとそもそも終結していくようなものではないに違いない。だから、そんな場面を見かけるときには、興味深く眺めもするし、その行く先に少しばかり懐疑的になったりもする。それが単に好奇心の交換を行うようなことであれば、そして「議論」でなければ決して懐疑的になったりはしないのだけれど、そうでない場合にはやはり少し悲観的になったりもする。「審判」のいない世界に百人の人がいれば、百人の世界観があるだろうし、人の意見に干渉するのはつまらない、と思ってしまうのである。

 技術系の話題で有れば、そんな「審判」がいる題材も比較的多いけれど(もちろん単に比較的である)、人文系の話題であれば、そんな「審判」がいない場合も多いに違いないけれど、そんな時はどうしているのだろう?うーん、どうしているのだろう?

 ところで、絶対的な「審判」がいないような場面で、その題材に関して何かを魔術のように作ってしまう「創造主」が現れることもある。そんな時には「議論」を待たずに「その題材の世界が正しいか、間違っているか」の「審判」ができてしまうこともある。 …あぁ、まとまらないからここで書くのをやめてみよう、っと。

今日見た夕暮れ(と)






2004-05-10[n年前へ]

科学館でデート 

科学館でデートというお話はきっと「科学に詳しい男性」&「科学に疎い女性」を想定されているかと思いますが,逆は絶対駄目そうな気がしますよ,ええ絶対に(笑)。#とは言え科学もいろいろありますが。
 確かに科学もいろいろありますね、「科学に詳しい男性」→「科学に疎い女性」でも、オッパイ星人の科学は絶対ダメですね。ええ絶対に(笑)。

 ところで、わたしがもしも文系男性だったら「ワケのわからない理系世界を楽しそうに語る科学に詳しい女性」との科学館でデートなんてとても楽しそうに思えます。「よく判らないけれど、ワケがわからないけれど、何だか不思議で楽しそうだなぁ」と相手を眺めてみるのも、なんだか楽しそうで。もちろん、「科学に詳しい女性」からすると、「ただコクコク頷くだけの男性」ではツマラナイ(夫としてはともかく)かもしれないですけれども。

2004-08-16[n年前へ]

「どっちが得か?はわかりません」 

 今日書いたメール。

>  ちなみに私は、理系と文系でどっちが得か?はわかりませんが、> 理系に行って良かったと思っています。 どっちが得かを考えるような人は、「理系」になんか来ないですよね、きっと。だから、私は中村修二の台詞が…どうも苦手です。うぅ。

「理系」と「才能」と「役に立つ」ということ 

 今日頂いたメール。

「数学は役に立つか?」「理系と文系どっちが得か?」という質問自体があまり理系の人々の中では出てこない発想かも、と思います。自分にとって「面白い」か「否」か、「好き」か「どうでもいい」か、という軸で行動している理系な人々なら、よく見かけるかもしれません。
 そして、メールの書き手はさらに「不材を以ってその天年を終うるを得る」という荘子の話が「好き」だと書く。
建築の材料には使えない曲がりくねっている木そんな役立たずの木は、切られることがなく天寿を全うする。立派でまっすぐで、いかにも役に立つ木は、生長したところでばっさり切られてしまう。なまじ才能をひけらかしていると、天寿を全うできない。

2004-09-12[n年前へ]

科学と理系とエトセトラ 

物理学の本を素人が読みますと、香も音も色もただそれを感じる人間の感覚器官がちがっているだけでありまして、根はおんなじもののように思われます。科学者たちは魂の力も電気や磁力とおんなじようなものであるという、まことしとやかなおとぎばなしをつくります。川端康成「抒情歌」

 田中麗奈の「周りに『理系ってどういう人かなぁ?』って聞いたら ・・・そういう事を聞きました」という話も面白いかな。それが理系でも文系でも誰でも関係なく。ところで、「その答えは何処かに有る(と思いたい)」という世界が面白いかも、あるいはそうじゃないのかも。  from ぽいんつさんのブログ.



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