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2008-03-28[n年前へ]

「物語が語られる順序」と「因果関係」 

 「ゲームの右と左 マリオはなぜ右を向いているのか」という「上手と下手」に関する記事を読んだ。こういった、上手・下手もしくは左・右といった辺りのことは、スライド・デザインにおける「上手と下手」、もしくは、「上手と下手」のブログで調べたこと・感じたこと・書いていることから、特に自分の中で変わっていることはない。

 けれど、左右や上手・下手という軸でなく時間軸というものを考えると、たとえば、物語が語られる時間軸というものについて考えると、いくつも新しく感じたこと・納得したことがあった。そのひとつが、北村薫「ミステリは万華鏡」(集英社文庫)の中で語られていた「順序」というものである。

 最も簡単な物語の語り方は、はじまりから始め、物語が終わるまで、あるいは聞き手が寝るまで話すというものである。
   「小説の技巧」(白水社)ディヴィッド・ロッジ

 「物語が語られる時間軸」というのは、物語が時間軸のどの地点から始まり(読者に対し語られだして)、どの時点に収斂していくか 、ということである。もしも、いたって原始的な物語であれば、背景から話を始め、原因・過程を話し、そして結果を話すことになる。

 あるいは、その逆に、たとえば推理ドラマであれば、まず冒頭で、「事件が起こる前・過去」と「ぼやけた形で描かれる事件が起こった瞬間」が描かれる。そして、そのあとの物語は、その瞬間・時点へと逆に遡っていくのが普通である。つまり、結果から原因・背景へ向かっていくのが通常のミステリの「方向性」である。
 語りの順序における斬新な実験の例として思いつくものは、ほとんどが犯罪や悪行や道徳的・宗教的な罪に関するようなものである。
   「小説の技巧」(白水社)ディヴィッド・ロッジ
 だからこそ、たとえば刑事コロンボの場合は、その物語が語られる時間方向性が、原因→結果という時間の流れそのまま、というところに「意外性」があったわけだ。

 北村薫は「語りの順序が、現在→過去というように流れる物語」に関して、このようなことを書いている。内容を抜粋するために、少し書き方を書き直すならば、それはこのようになる。

 ピラミッドを逆さまにしたように、最後に「出発点・背景」が描かれれば、その一点は、物語の冒頭から語られた「それ以降に起こったこと」のすべて重みがのしかかる。そして、出発点はその重みに歪み、過去と未来のコントラストは、ますます鮮やかになるのだ。

 「普通人間のいちばん好きな考え方は因果関係です」と言ったのは心理学者の河合隼雄で、「人は、因果関係を納得しやすい。というか、因果がないと、物事の関係性を納得しにくい生き物なんだよね、人って」と書いたのは、小説家の新井素子だ。

 彼らの言葉を、「物語が語られる順序」と「因果関係」が描かれたパズルのピースを並べようとするなら、どんな風に人は並べたがるものだろうか。あるいは、そんなピースに描かれた模様は、人によってどのように違って見え、どのように違って組み合わされるものだろうか。

2011-05-18[n年前へ]

「因果関係」という作用を与える(瓜二つの)「物語と科学」 

 無料で購読できる最高のグラフ誌「GRAPHICATION」 から、池内了の「子どもの遊びにおける物語性と科学性」を読みました。冒頭のこんなフレーズを読みながら、少し首をかしげてしまいました。

 幼児期から小学校までの子どもが好きなものは物語と科学(理科)だろう。この二つは一見すると無関係なようだが、実は重要な共通点がある。想像力を刺激するという点だ。

 なぜ、首をかしげてしまったかと言えば、それは「物語と科学」は無関係どころか、とても「繋がりやすい」ものだ、という印象があったからです。科学も物語も、そのどちらもが「因果関係を与えてくれる」瓜二つの作用を持つものだという意識があったので、「一見すると無関係」という言葉に違和感を感じてしまったわけです。

 「普通、人間のいちばん好きな考え方は因果関係です」と言うのは心理学者の河合隼雄の言葉です。そして「人は因果関係を納得しやすい。というか、因果がないと、物事の関係性を納得しにくい生き物なんだよね、人って」と書いたのは、小説家の新井素子です。

 だからこそ、「(人の心や頭を)納得させる因果関係」や「”こうあってほしい世界観”や”自分が欲しがっている魅力的な(適度な理屈・ロジックをまとう)結論”」を与えてくれる(ように思わせる)疑似科学という物語は人を惹きつけるのです。

 僕がマクロ経済学に飛びついたとき、現実の世界は不況で不安定になっていたわけです。そんなとき、「公共事業をやったり、お札をいっぱい印刷したりすれば安定な世界に戻るんだ」というケインズ理論はとても魅力的で、僕の”こうあってほしい世界観”に近くて、あこがれとか高揚感に近い楽しさを感じたんですね。
 そこで思ったのは、自分が欲しがっている”あまりに魅力的な結論”を与えてくれる適度な理屈・ロジックに飛びついちゃったんじゃないか。

小島寛之

 科学も物語も、そのどちらもが「世界」を描いてるように見える巻物です。「因果関係」という作用・納得を与える(かのように見える)瓜二つの存在です。



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