2009-01-27[n年前へ]
■斎藤美奈子「話を聞かない男、地図が読めない女」
斎藤美奈子の「趣味は読書。」 の188頁、「話を聞かない男、地図が読めない女」に対しての感想から。
この手の本は、思想的には必ず保守で、論旨は必ず荒唐無稽だ。もちろん、だから売れるのである。人々の価値観は概して保守的だし、正しい科学の知識もお呼びじゃない。彼らが望んでいるのは「あなたの性格はこう」「あなたの人間観家はこれでうまくゆく」とだれかに力強く断言してもらうことだけなのだ。で、ある人は霊能者のもとへ走り、ある人は占いに凝り、ある人は疑似科学に救いを求める。20世紀が科学の時代だったなんて、信じられない。勝利したのは、科学の装いを凝らした迷信だけだったんじゃない?
斎藤美奈子 「趣味は読書。」 p.188 「話を聞かない男、地図が読めない女」
2009-11-08[n年前へ]
■合理と非合理、客観と主観というふたつのまなざし
「河合隼雄―こころの処方箋を求めて (KAWADE夢ムック)」で、鏡リュウジが書く一節。
合理と非合理。客観と主観。このふたつのまなざしを両立させてゆくことは容易なことではない。
非合理なはずの占い師の多くは、簡単に疑似科学者に堕してしまっているからだし、あまりに合理的な生き方をしようとしtも、人生の意味を見失い、ニヒリズムに陥ってしまうことがある。近代の抱える病とは、そんなところにあるのではないだろうか。
2011-05-18[n年前へ]
■「因果関係」という作用を与える(瓜二つの)「物語と科学」
無料で購読できる最高のグラフ誌「GRAPHICATION」 から、池内了の「子どもの遊びにおける物語性と科学性」を読みました。冒頭のこんなフレーズを読みながら、少し首をかしげてしまいました。
幼児期から小学校までの子どもが好きなものは物語と科学(理科)だろう。この二つは一見すると無関係なようだが、実は重要な共通点がある。想像力を刺激するという点だ。
なぜ、首をかしげてしまったかと言えば、それは「物語と科学」は無関係どころか、とても「繋がりやすい」ものだ、という印象があったからです。科学も物語も、そのどちらもが「因果関係を与えてくれる」瓜二つの作用を持つものだという意識があったので、「一見すると無関係」という言葉に違和感を感じてしまったわけです。
「普通、人間のいちばん好きな考え方は因果関係です」と言うのは心理学者の河合隼雄の言葉です。そして「人は因果関係を納得しやすい。というか、因果がないと、物事の関係性を納得しにくい生き物なんだよね、人って」と書いたのは、小説家の新井素子です。
だからこそ、「(人の心や頭を)納得させる因果関係」や「”こうあってほしい世界観”や”自分が欲しがっている魅力的な(適度な理屈・ロジックをまとう)結論”」を与えてくれる(ように思わせる)疑似科学という物語は人を惹きつけるのです。
僕がマクロ経済学に飛びついたとき、現実の世界は不況で不安定になっていたわけです。そんなとき、「公共事業をやったり、お札をいっぱい印刷したりすれば安定な世界に戻るんだ」というケインズ理論はとても魅力的で、僕の”こうあってほしい世界観”に近くて、あこがれとか高揚感に近い楽しさを感じたんですね。
そこで思ったのは、自分が欲しがっている”あまりに魅力的な結論”を与えてくれる適度な理屈・ロジックに飛びついちゃったんじゃないか。
小島寛之
科学も物語も、そのどちらもが「世界」を描いてるように見える巻物です。「因果関係」という作用・納得を与える(かのように見える)瓜二つの存在です。
2016-04-17[n年前へ]
■「レーウェンフックのスケッチ」と「フェルメールと印刷プロセス」
「レーウェンフックのスケッチは、あの画家フェルメールが描いたという説が!」というコメントを理科実験界隈で聞いた。それを聞いた時に考えたことを、少しここに書いてみる。
この「説」が流れ始めたのは、「あの」福岡伸一さんの影響だろうか、たとえば(ANAが出している雑誌記事で最初に見た気もするけれど)右に貼り付けたような新聞記事にもなっている。…けれど、この記事にはいくつもの疑問がある。福岡先生は、オリジナルの手稿(オリジナルの素描)の変遷を時代的に追えるほどに十分に見たのだろうか?とか、そもそもレーウェンフックが観察を行い・その記録を出版した多くの時代はフェルメールが亡くなってからだということはどう説明するのだろう?とか、そもそも「(当時は)熟練のーけれど油彩画ではなくてー別種の画家の力を借りるのが当然だった」ということに言及していないのはなぜだろう?といった疑問だ。
今現在眺めることができる「レーウェンフックが描いたスケッチ」というものは、多くのものが「レーウェンフックの自筆スケッチ」ではない。英国の王立学会(王立協会)の解説記事がわかりやすいけれど、現在「レーウェンフックのスケッチ」として眺めることができるほぼ全ての絵は「レーウェンフックの自筆スケッチとコメントを元にして銅版画家(油彩画画家ではなく)」が描いた上で印刷されたイラスト」だ。ちなみに、左下にはりつけたのは、王立学会解説記事で使われている希少なこれは希少なレーウェンフックの自筆スケッチで、右側はそれを銅版画家がトレースして(そのプロセスから必然として)反転すると同時に、(レーウェンフックの観察文言を元にして)銅版画家の想像力が作り出した銅版画化された世界だ。
当時の印刷プロセスを考えれば、その当時の時代技術を考えれば当然のことであるのだけれども、「描いた絵」をー銅版画家ーが描き直す必要があった。もちろん、そもそも「絵を描くこと」ができない研究者も多いので、(王立学会記事にしたがえば、”レーウェンフックの場合は、本人が元スケッチを描いた”けれど)他の研究者の場合にはー銅版画家に回す前にーまず最初の画家に描いて貰うことで=観察した研究者・イラストを描く画家・銅版画家…のトータル3人の感覚に描画技術を経て作り出されるのが普通だった。もちろん、当時は銅版画家が「想像で書く」ことも一般的だったので、レーウェンフックの自筆スケッチと観察文面とを踏まえて、銅版画家が想像力で加筆をすることも普通だった。つまり、「科学者が(銅版)画を描く技術が無いので、(銅版)画家に描いてもらう」ことは普通だった。
福岡伸一さんが書かれる一連の記事は、まるで小保方さんのように「人が欲しがるもの・ツボ」に通じていて…だから、そういうコメントが(興味を惹くために)理科実験界隈で出てくることについては…何か少し考えさせられてしまったりする。