2009-05-30[n年前へ]
■主体的に「選択する」という自由
坂口孝則 「営業と詐欺のあいだ (幻冬舎新書) 」から。
(江国香織 「冷静と情熱の間」で)理知的なあおいが、最後は非合理さに「賭ける」姿は印象的です。・・・あおいの選択は、間違っているかもしれないと思いながら、あえて選択したことに意味があった。そう私には感じられます。この主体性の存在が、非合理な選択を唯一救うものではないでしょうか。いつの間にか選ばされているのではなく、意識的に選ぶということのみが、自由を行使する条件だと私は思うからです。
(p.213)おわりに
2009-11-08[n年前へ]
■合理と非合理、客観と主観というふたつのまなざし
「河合隼雄―こころの処方箋を求めて (KAWADE夢ムック)」で、鏡リュウジが書く一節。
合理と非合理。客観と主観。このふたつのまなざしを両立させてゆくことは容易なことではない。
非合理なはずの占い師の多くは、簡単に疑似科学者に堕してしまっているからだし、あまりに合理的な生き方をしようとしtも、人生の意味を見失い、ニヒリズムに陥ってしまうことがある。近代の抱える病とは、そんなところにあるのではないだろうか。
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