2009-11-08[n年前へ]
■合理と非合理、客観と主観というふたつのまなざし
「河合隼雄―こころの処方箋を求めて (KAWADE夢ムック)」で、鏡リュウジが書く一節。
合理と非合理。客観と主観。このふたつのまなざしを両立させてゆくことは容易なことではない。
非合理なはずの占い師の多くは、簡単に疑似科学者に堕してしまっているからだし、あまりに合理的な生き方をしようとしtも、人生の意味を見失い、ニヒリズムに陥ってしまうことがある。近代の抱える病とは、そんなところにあるのではないだろうか。
2010-03-23[n年前へ]
■「自分ならできるというその自信。」
角田光代・鏡リュウジの「12星座の恋物語 」を読む。
そうだあのとき、あたしは彼をうらやましいと思ったんだ。…でかいことをしたいと公言できるそのシンプルさ。自分ならできるというその自信。そして実際、自分の手のひらで、自分の足で、未知の世界にぐんぐん分け入っていこうとする、その強さ。あたしにはないものばかり内に秘めている彼。
「こんなものを作りたい」と思ったなら、自分一人で作る。いつも、そうすることができれば、それが一番気楽でよいと思う。
けれど、自分一人では作れないものがある。そんな複合的なものを、そんな大きなパズルを、もしかしたら作れるかもしれない、と思ったこともある。けれど、そんなものを、きちんと作ることができなかったことを、思い出すたび、いつも後悔する。パズルのピースを失くしたことを、いつも情けなく悔しく思う。
2010-03-25[n年前へ]
■「個性の差異」や「感情や思考」と「行動」と
十二の星座、それぞれの男女、全部で二十四人を主人公にした二十四の物語 角田光代・鏡リュウジの「12星座の恋物語 」から。
すべての人が星座によって十二パターンの性格に分類できる、とは私も信じていません。(中略)私が書きたかったのはむしろ、人の差異でした。十二人集めたら十二通りの個性があり、二十四人集めたら二十四人分の個性がある。自分の思考回路や行動原理がいつも正しいわけはなく、まったく異なる人もいる。また、頭では正しいことがわかっているのに、いつもいつも正しいことばかりできるはずもない。という、そのことを、この短い小説で書けたらいいなあと思っていました。
男性、女性、それぞれの星座の色々な人たち、そんな二十四人の物語を、読みたい星座の読みたい性別から適当に読み進めていくと、「あぁ、これが物語というものなんだ」と実感させられます。
2010-09-07[n年前へ]
■「科学的でも論理的でもありません」
「12星座の恋物語 」から。
「おはなし」は、科学的でも論理的でもありませんが、そのなかにたくさんの知恵や共感すべきエッセンスを含んでいることが多くあります。
この一文を読み、江國香織の「泳ぐのに、安全でも適切でもありません 」を連想したので、このクリップは「科学的でも論理的でもありません」という題にしてみました。
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