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2009-11-11[n年前へ]

「河合隼雄」と「吉田寮」と「ボーイズラブ」 

 「河合隼雄―こころの処方箋を求めて (KAWADE夢ムック)」を読んでいて、「はて?」と首をかしげたのがこの部分。

 それから僕は1988年に60歳になったんですが、還暦祝いに1年遊ぼうと思って京大の学生部長になったんです。京都大学には吉田寮というのがあって、みんな金も払わず名前も言わずに20年以上ずっと入っていたんですが、それを僕が学生部長になって1年半で解決したんです。このときも学生さんとよく団交なんかをやりました。
 その頃、確か寮費として400円/月を払っていた(が、大学が受け取らなかったので積み立てていた)ような気がする。「団交」もあったが、同時に、茶碗に日本酒が入っていた「会合」もあったような気もする。
 河合捕捉計画を立てようと作戦会議を開いた。教育学部の戦闘的学友の情報提供もあって河合のスケジュールも把握できた。
 ところが、戦闘的学友は闘争に忙しすぎて授業に出ておらず、河合の顔が分からないという。そもそも吉田寮生は授業にほとんど出ない。
仕方なく図書館で河合の著書を借り出し、後ろの方に載っていた著者プロフィールの顔写真をコピーして回した。ものすごく粒子の粗いコピーで、人相はよく分からない代物だった。

「おっとせい日記」 2006/08/19 土

 ちなみに、もっとびっくりしたのが、かわいゆみこ「猫の遊ぶ庭 (ショコラノベルス) 」という新書。

 今年K大の院に進学する織田和祐は入居予定だった下宿が取り壊されてしまい、やむなく吉田寮に住むことに。この吉田寮、過激派が住むだの、幽霊が住むだのと言われるほどの尋常ならざるところだった。寮生も変わり者ばかりで、これからの生活に不安を覚える織田だったが、そこでまるで蒸留水を飲んで育ったかのような涼やかな青年と出会う。寮内で唯一まともそうなその青年、杜司篁嗣にすっかり魅せられ、親しくなろうと必死になるが…。
 ノンケも非ノンケも普通にいたと思うが、こんな本が出ていて、偶然作者「かわいゆみこ」の名字が同じ「かわい」だということが、何だか河合隼雄ならぬユング心理学のシンクロニシティっぽく新鮮で面白い。

2010-03-23[n年前へ]

「自分ならできるというその自信。」 

角田光代・鏡リュウジの「12星座の恋物語 」を読む。

 そうだあのとき、あたしは彼をうらやましいと思ったんだ。…でかいことをしたいと公言できるそのシンプルさ。自分ならできるというその自信。そして実際、自分の手のひらで、自分の足で、未知の世界にぐんぐん分け入っていこうとする、その強さ。あたしにはないものばかり内に秘めている彼。

 「こんなものを作りたい」と思ったなら、自分一人で作る。いつも、そうすることができれば、それが一番気楽でよいと思う。

 けれど、自分一人では作れないものがある。そんな複合的なものを、そんな大きなパズルを、もしかしたら作れるかもしれない、と思ったこともある。けれど、そんなものを、きちんと作ることができなかったことを、思い出すたび、いつも後悔する。パズルのピースを失くしたことを、いつも情けなく悔しく思う。

2010-03-25[n年前へ]

「個性の差異」や「感情や思考」と「行動」と 

 十二の星座、それぞれの男女、全部で二十四人を主人公にした二十四の物語 角田光代・鏡リュウジの「12星座の恋物語 」から。

 すべての人が星座によって十二パターンの性格に分類できる、とは私も信じていません。(中略)私が書きたかったのはむしろ、人の差異でした。十二人集めたら十二通りの個性があり、二十四人集めたら二十四人分の個性がある。自分の思考回路や行動原理がいつも正しいわけはなく、まったく異なる人もいる。また、頭では正しいことがわかっているのに、いつもいつも正しいことばかりできるはずもない。という、そのことを、この短い小説で書けたらいいなあと思っていました。

 男性、女性、それぞれの星座の色々な人たち、そんな二十四人の物語を、読みたい星座の読みたい性別から適当に読み進めていくと、「あぁ、これが物語というものなんだ」と実感させられます。



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