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2009-08-26[n年前へ]

最相葉月氏のアプローチ 

 最相葉月「あのころの未来―星新一の預言 (新潮文庫) 」の福岡伸一による解説から。

 最相葉月氏のアプローチはどこまでも帰納的なところにその特徴がある。事実とデータをひとつひとつ積み重ねていく。しかし、決してそれらを総括して早急な結論を導かない。安易な図式化に対して徹底して禁欲的である。

2015-02-20[n年前へ]

福岡伸一のフェルメール 光の王国展 2015で展示していた「リ・クリエイト絵画」を特殊撮影・復元し、ライクスミュージアムのオリジナルと比べてみた。 

 『福岡伸一のフェルメール 光の王国展 2015 - 彼は画家ではなく科学者だった。 フェルメールの秘密を解き明かす世界初のリ・クリエイト*絵画展』が開催されているというので、特殊カメラをリュックに入れて東京日本橋に行き、特殊撮影・VR復元してみました。その一例、たとえばMilkmaid(牛乳を注ぐ女)を眺めてみた例がこちらです。(しまった!画像を反転させちゃった)

 オランダのアムステルダム国立美術館(ライクスミュージアム)でオリジナルを撮影した結果と比べると、オリジナルとは全く異なるキャンバス地の上に絵作りがされていて、何だかずいぶんと見え方が違います。額は本物と同じように見えますが、額に収まった中身がずいぶん違うような印象を受けます。このリ・クリエイト絵画は、たとえばMilkmaid(牛乳を注ぐ女)の場合だと15万円程度で販売されていますが、(ビンボな私からするととても高い金額なのに)とても安っぽい印象に見えてしまいます。

 …なんてことを考えながら、その足で秋葉原近くに行くと、美術品を売る店があって、そこに置かれていた2万5千円くらいのフェルメール復元版画の方が、よほど本物に近いように見え、お買い得でとても豊かに感じられ、思わず買いたくなってしまいました。

福岡伸一のフェルメール 光の王国展 2015で展示していた「リ・クリエイト絵画」を特殊撮影・復元し、ライクスミュージアムのオリジナルと比べてみた。福岡伸一のフェルメール 光の王国展 2015で展示していた「リ・クリエイト絵画」を特殊撮影・復元し、ライクスミュージアムのオリジナルと比べてみた。






2016-04-17[n年前へ]

「レーウェンフックのスケッチ」と「フェルメールと印刷プロセス」 

 「レーウェンフックのスケッチは、あの画家フェルメールが描いたという説が!」というコメントを理科実験界隈で聞いた。それを聞いた時に考えたことを、少しここに書いてみる。

 この「説」が流れ始めたのは、「あの」福岡伸一さんの影響だろうか、たとえば(ANAが出している雑誌記事で最初に見た気もするけれど)右に貼り付けたような新聞記事にもなっている。…けれど、この記事にはいくつもの疑問がある。福岡先生は、オリジナルの手稿(オリジナルの素描)の変遷を時代的に追えるほどに十分に見たのだろうか?とか、そもそもレーウェンフックが観察を行い・その記録を出版した多くの時代はフェルメールが亡くなってからだということはどう説明するのだろう?とか、そもそも「(当時は)熟練のーけれど油彩画ではなくてー別種の画家の力を借りるのが当然だった」ということに言及していないのはなぜだろう?といった疑問だ。

 今現在眺めることができる「レーウェンフックが描いたスケッチ」というものは、多くのものが「レーウェンフックの自筆スケッチ」ではない。英国の王立学会(王立協会)の解説記事がわかりやすいけれど、現在「レーウェンフックのスケッチ」として眺めることができるほぼ全ての絵は「レーウェンフックの自筆スケッチとコメントを元にして銅版画家(油彩画画家ではなく)」が描いた上で印刷されたイラスト」だ。ちなみに、左下にはりつけたのは、王立学会解説記事で使われている希少なこれは希少なレーウェンフックの自筆スケッチで、右側はそれを銅版画家がトレースして(そのプロセスから必然として)反転すると同時に、(レーウェンフックの観察文言を元にして)銅版画家の想像力が作り出した銅版画化された世界だ。

 当時の印刷プロセスを考えれば、その当時の時代技術を考えれば当然のことであるのだけれども、「描いた絵」をー銅版画家ーが描き直す必要があった。もちろん、そもそも「絵を描くこと」ができない研究者も多いので、(王立学会記事にしたがえば、”レーウェンフックの場合は、本人が元スケッチを描いた”けれど)他の研究者の場合にはー銅版画家に回す前にーまず最初の画家に描いて貰うことで=観察した研究者・イラストを描く画家・銅版画家…のトータル3人の感覚に描画技術を経て作り出されるのが普通だった。もちろん、当時は銅版画家が「想像で書く」ことも一般的だったので、レーウェンフックの自筆スケッチと観察文面とを踏まえて、銅版画家が想像力で加筆をすることも普通だった。つまり、「科学者が(銅版)画を描く技術が無いので、(銅版)画家に描いてもらう」ことは普通だった。

 福岡伸一さんが書かれる一連の記事は、まるで小保方さんのように「人が欲しがるもの・ツボ」に通じていて…だから、そういうコメントが(興味を惹くために)理科実験界隈で出てくることについては…何か少し考えさせられてしまったりする。

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