2002-09-15[n年前へ]
■ANY OLD PORT IN A STORM
刑事コロンボの「別れのワイン」の原題。最後に使われるポルトワイン(old port)にもタイトルはかけられていたのかー。なるほどね。 from hardでloxseな日々
2008-03-28[n年前へ]
■「物語が語られる順序」と「因果関係」
「ゲームの右と左 マリオはなぜ右を向いているのか」という「上手と下手」に関する記事を読んだ。こういった、上手・下手もしくは左・右といった辺りのことは、スライド・デザインにおける「上手と下手」、もしくは、「上手と下手」のブログで調べたこと・感じたこと・書いていることから、特に自分の中で変わっていることはない。
けれど、左右や上手・下手という軸でなく時間軸というものを考えると、たとえば、物語が語られる時間軸というものについて考えると、いくつも新しく感じたこと・納得したことがあった。そのひとつが、北村薫「ミステリは万華鏡」(集英社文庫)の中で語られていた「順序」というものである。
最も簡単な物語の語り方は、はじまりから始め、物語が終わるまで、あるいは聞き手が寝るまで話すというものである。
「小説の技巧」(白水社)ディヴィッド・ロッジ
「物語が語られる時間軸」というのは、物語が時間軸のどの地点から始まり(読者に対し語られだして)、どの時点に収斂していくか 、ということである。もしも、いたって原始的な物語であれば、背景から話を始め、原因・過程を話し、そして結果を話すことになる。
あるいは、その逆に、たとえば推理ドラマであれば、まず冒頭で、「事件が起こる前・過去」と「ぼやけた形で描かれる事件が起こった瞬間」が描かれる。そして、そのあとの物語は、その瞬間・時点へと逆に遡っていくのが普通である。つまり、結果から原因・背景へ向かっていくのが通常のミステリの「方向性」である。語りの順序における斬新な実験の例として思いつくものは、ほとんどが犯罪や悪行や道徳的・宗教的な罪に関するようなものである。だからこそ、たとえば刑事コロンボの場合は、その物語が語られる時間方向性が、原因→結果という時間の流れそのまま、というところに「意外性」があったわけだ。
「小説の技巧」(白水社)ディヴィッド・ロッジ
北村薫は「語りの順序が、現在→過去というように流れる物語」に関して、このようなことを書いている。内容を抜粋するために、少し書き方を書き直すならば、それはこのようになる。
ピラミッドを逆さまにしたように、最後に「出発点・背景」が描かれれば、その一点は、物語の冒頭から語られた「それ以降に起こったこと」のすべて重みがのしかかる。そして、出発点はその重みに歪み、過去と未来のコントラストは、ますます鮮やかになるのだ。
「普通人間のいちばん好きな考え方は因果関係です」と言ったのは心理学者の河合隼雄で、「人は、因果関係を納得しやすい。というか、因果がないと、物事の関係性を納得しにくい生き物なんだよね、人って」と書いたのは、小説家の新井素子だ。
彼らの言葉を、「物語が語られる順序」と「因果関係」が描かれたパズルのピースを並べようとするなら、どんな風に人は並べたがるものだろうか。あるいは、そんなピースに描かれた模様は、人によってどのように違って見え、どのように違って組み合わされるものだろうか。
2011-06-23[n年前へ]
■あとひとつだけ(Just one more thing.)
「あとひとつだけ(Just one more thing.)」を繰り返す刑事コロンボ、ピーター・フォーク死去。
Just one more thing.
2011-07-15[n年前へ]
■[今日見た景色] 横浜港 国際客船ターミナル
外国へ行くとき・帰る時に通る場所は空港の国際ターミナルだけではありません。島国である日本と外国の間を行き来するには、海を飛行機で飛び越えるか・船で海を渡るしかありません。つまり、日本の各地にある港からも外国に渡ることができます。
今日見た景色は「横浜港 国際客船ターミナル」です。ペリー提督が乗る黒船が浦賀沖にやってきて、日米和親条約(神奈川条約)・日米修好通商条約(安政五カ国条約)が結ばれて、横浜村に日本と外国を結ぶ港が作られ、安政6年(1859)横浜港が開港しました。
羽田空港の国際ターミナルから世界各国へ飛行機が飛び立つのと同じように、羽田空港のすぐ近くにある横浜港国際客船ターミナルには海の向こうにある国々に向かう国際船が泊まり、その船に乗り多くの人たちが旅立ち・帰ってきます。
今日(本当は7/16なのです)の横浜港 国際客船ターミナルには、PEACEBOATの「74回地球一周の船旅(2011年7月19日~10月27日)」の出航を待つオセアニック号が停船していました。PEACEBOATという文字が描かれた「ボート」の、その大きさには本当に驚かされました。
巨大建造物としか言いようがない国際船に描かれた"BOAT"という文字を見ながら、ふと刑事コロンボの「歌声の消えた海"TROUBLED WATERS"」の中で繰り返されたコミカルなシーン、コロンボが汽船を「(まるで手漕ぎの)ボート」と言って、船長がカチンとしながら・その言葉を訂正するシーンを思い出しました。
(アメリカからメキシコに向かう巨大国際船の)船長は、コロンボ警部に汽船を「ボート」呼ばわりされて、内心、面白くなかった。ボートは公園の池などに浮かべる手漕ぎの船を指す。(中略)「汽船」と呼称されると、蒸気船みたいな印象を与えるが、船舶法に因ると「機械推進によって航行する船舶」に分類される。
『歌声の消えた海』TROUBLED WATERS(1975年)
数日すれば、目の前にある”BOAT”と記された巨大な汽船に、日本を離れて世界を旅する人たちが乗り込んでいく姿を見ることができます。今日は、そんな景色の数日前、巨大なボートを背にしつつ、青空の下・暑い日差しの下で横浜港越しの街を眺めている家族がいます。家族という名のボートが見えるような気がします。
To get a little stronger,
I'm rowing away,
In my broken boat.
"worthless"と"priceless"とクライマックス