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2010-01-30[n年前へ]

中国で「寡婦年」を前に師走の駆け込み婚が急増している 

「寡婦年」の来年結婚すると夫に先立たれる!師走の駆け込み婚が急増中―中国」 (日中通信社発行の月刊誌:中国NEWS 2010.2月号にも掲載)

 2009年12月2日、中国では今、年内に結婚してしまおうという「駆け込み婚」が相次いでいる。来年は「寡婦年」と呼ばれる不吉な年にあたり、結婚してはならない習わしになっているのだとか。
 「寡婦年」とは読んで字の如く。中国では昔から、この年に結婚すると「旦那さんに先立たれる」と言い伝えられている。では、なぜ来年が「寡婦年」なのか?その理由は、「立春」が来ないこと。中国人は春節(旧正月)を迎えて初めて新年の幕開けとなるが、来年は2月14日が旧暦の1月1日にあたる。ところが、来年の西暦による立春は2月4日。つまり、新年が来る前に先に立春が来てしまうため、来年は立春がない年になる。中国では古くから「春=若い男性」とされており、立春がないということは「若い男性=夫」がないという意味につながる。(中略)2月14日の春節までに慌てて結婚する若者が増えている。

2012-01-01[n年前へ]

「きみのかみさま」の最終話「旧正月とバレンタインが重なる日」 

 絵本を作りたかったという西原理恵子の「きみのかみさま」は、第2話から第13話まで6ページのリフレインがずっと続きます。そして、第1話に似た第14話を経て、第15話(最終話)で旧正月のお祭りの派手な音や華やかな色彩が満ちる、そして黒潮と風の匂いがする南国の水辺が描かれます。

 その水辺を背景に書かれたモノローグを眺めていると、

約束した場所がある。
いつか…会うことを決めている。
「できるかな クアトロ」で南国の祭りの後に描かれていた言葉を思い出します。
わたしは死んだら、たぶんここらへんにいるので、
あなたも死んだら、ここらへんに来てください。
「できるかな クアトロ」は、西原理恵子が元夫である鴨志田穣と離婚した後に画かれた話が、亡くなった後に出版されたものです。さて、この南国の祭りの後に描かれていた言葉にはどんな思いが込められているのだろう?と考えます。

 2010年の旧暦1月1日、つまり2010年の旧正月は、2月14日でした。「きみのかみさま」の最終話は、そんな旧正月とバレンタインが重なった日が舞台です。

お母さん、今日
中国のお正月なんでしょ。

おまけにバレンタインよ。
チョコおくらなきゃ。
 (西原理恵子の「毎日かあさん」に出てくる長女とよく似た)女の子の言葉の後、お母さんが水面の向こうに語りかける言葉が、「きみのかみさま」最後の1ページです。
ちいさなキスを おくります。
こんど会ったら、返してね。

「未来を想像する力」で「旧暦のお正月」気分を楽しもう!? 

 「こんなものいいな、あったらいいな」と思うものを作りたくなることがあります。作れないことも多いけれど、ごくたまに、欲しいと思った時・その瞬間には「なかったもの」を作り出すことができることもあります。

 そんな時、ほんの少しだけ「未来」を作り出すことができたような、気持ちになります。「こんなものがあったらいいな」という願いは「未来を見て・感じて・味わいたい」という気持ちに似ていて、そして「何かを作り出すこと」は「未来を一部手元に引き寄せる感覚」に、少し似ています。そんな「ほんの少し先の未来」を思い浮かべ・想像し、そしてそこに辿り着くということを、わたしたちはいつも続けているのかもしれません。

 お正月は旧暦に祝いたい、と思うことがあります。旧暦の正月というと、年によって違いはありますが、一月下旬から2月中旬くらいです。日に日に日の出が早くなり、梅の花がもうすぐ咲き始める、そんな頃が旧暦のお正月です。俳句の季語なら一月は「春」の始まりになる、そんなことを実感できる時期です。

 けれど、新暦の1月1日には、そんな「春」を実感するのはまだ少し難しく、まだ寒い冬があって・春はもう少し先のこと…とも思えてしまいます。だから、新春という言葉が交わされる正月は、旧暦でこそ祝いたい、と思ったりします。

 その一方で、「ほんの少し先の未来」を思い浮かべ・想像し、ほんの少し先の未来「旧暦のお正月」までタイムワープをしてみれば、春の風がもうすぐ訪れる・陽気もほのかに香ってくる「、まさに新春」まっさかり…そんな心地にもなってきます。

 2012年、今年の春も間近になりました。さてさて、今年はどんな年になるんでしょう? 今年をどんな年へと、私たちはしていくのでしょうか。

2014-01-31[n年前へ]

孟子曰く、大人とはその赤子の心を… 

 台北の中心街を歩いてみても、旧正月(春節) で、ほとんど人とすれ違うこともありません(一番出会うのはレンタルバイクのU-bikeに乗ってる人たちだ)。そんな通りの一角で、「Legoを使った模型」が描かれたポスターを見かけて、思わず入ってしまったのがミニチュアハウスやミニチュアな景色が集められた「袖珍博物館」です。

 袖珍博物館に展示されていたものたちが結構面白くて、色んな部屋を眺めた後に、最後の展示部屋の入り口上部を見上げると、こんな言葉が掲げてありました。

孟子曰、大人者不失其亦子之心者也。
(孟子曰く、大人とはその赤子の心を失わざる者なり)

孟子曰く、大人とはその赤子の心を…






2018-04-12[n年前へ]

チェンマイのタイ旧正月のソンクラーン(水掛け祭り) 

 チェンマイでタイ旧正月ソンクラーン(水掛け祭り)を、地上数メートルの上空から撮ってみました。氏改善方向を撮影することができるRicohのデジカメ Theta Sが出たときは「レンズを向けなかった方向すべてを撮影できて面白い」と思ったけれど、ドローン映像のような「カメラを置きたいと思った場所に、カメラを置けること」はそれを遙かに超える感動があった。来年今頃のカメラは、みんなそうなっているのかもしれない。

 ずっと昔、京都の写真スタジオでバイトをしに行っていた時、「カメラマンは良い風景を予測して、その場所にいるようにすること、そんな場が生まれるように動くこと」と習った。もしかしたら、これからのカメラはデバイスを進化させる今のSONYみたいな方向と、カメラマンの可能性を高める視点自由度や何かしらの可能性を高めるまた別の方向が必要とされているのかもしれない。



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