2004-10-30[n年前へ]
■グライダー能力
グライダーと飛行機は遠くからみると、似ている。…ただ、悲しいかな、(グライダーは)自力で飛ぶことができない。学校はグライダー人間の訓練所である。飛行機人間は作らない。グライダー専業では安心していられないのは、コンピュータという飛び抜けて優秀なグライダー能力の持ち主があらわれたからである。自分で翔べない人間はコンピュータに仕事を奪われる。この言葉は1983年に刊行された外山滋比古の「思考の整理学」冒頭の言葉だ。20年以上前に書かれた言葉だ。
2012-04-24[n年前へ]
■「"稼ぐ力"」と「(機械が働き)人が働かずに暮らせる未来」
フリーペーパーR25に、日本は莫大な所得収支があるから、日本の”稼ぐ力”に関して悲観する必要は無い、という論調の経済解説記事が載っていた。
…「日本の”稼ぐ力”が弱くなった」と悲観的な論調が目についた。貿易がダメだと日本は稼げない、と言わんばかりだった。
(中略)2005年から、貿易以上に日本が稼いできたものがあったのだ。それが「所得収支」である。海外に投資をすることによって得た、利子や配当などのリターンである。
(中略)本当に「日本はもう稼げない」などと悲観しなければいけないことだったのか。
…農場では機械が農作物を作ってる。農場で作られた麦からは、工場で機械が自動作業でビールを作り、人はビールを飲みながら、本を読んでいる。つまりは、機械が人間の代わりに働き、そして、人間は”働かずとも優雅に過ごす”ことができる世界である。
今、日本の工場では、たくさんの機械たちが働いている。ただ、こどもの頃の想像と大きく違ったのは、自動機械(ロボット)が働いても「自動機械の持ち主(それは”お金持ち”だ)」にお金が入ってくるだけだ、ということだった。そして、自動機械の持ち主でなく、働いていない種類の人類には「タダでどこからかビールが運ばれてくる」わけではなかった、ということだった。
「所得収支があるから、日本の”稼ぐ力”に関して悲観する必要は無い」という解説を読んで、こどもの頃に想像した「(機械が働き)人は働かずとも優雅に暮らせる未来」を思い出した。
70年代、こどもが想像した未来像は間違っていた。「(機械が働き)人は働かずとも優雅に暮らせる未来」は、「機械を持つもの」にだけ当てはまる世界だった。そして、もちろん、働かなくて良い世界を夢見た(怠惰な)こどもは、機械を持つ側ではなかった。
2013-05-02[n年前へ]
■「勝ち」≒「価値」という方程式
「将棋電王戦」の憂鬱を読んで思い出した、8年前にサンノゼで書いた記事(「プロ棋士と将棋ソフトの対局許可」と「競技(スポーツ)の本質」)。
こういったゲームの世界で、(人間が作り出したはずの)コンピュータに人間が太刀打ちできないということが増えていくのかもしれません。
しかし、「相手に勝てないから(そんな勝負が)つまらない」かというと、それは違うように思います。今年、コンピュータと戦ったチェスチャンピオンのカジムダノフが「人間とコンピュータの対決」に関して、かつてこう語っています。
”Sports are not about reaching a result. Sport is about developing your inner qualities.”(競技(スポーツ)は記録や勝ちを手に入れるためのものではない。それは、私たちが自分の中にある価値を成長させるためのものだ。)
もちろん、…その勝負に負け続けるだけであれば、それはつまらく面白くない気持ちにもなるの確かでしょう。けれど、(強いコンピュータに鍛えられて)自分の将棋の腕が強くなることも、またひとつの事実であるかもしれません。
「たいていのスポーツは、勝った試合より負けた試合から多くを学ぶもんだろ」
■Powered
by yagm.net